彬子さまの留学時代のことがヤフーニュースになっていました。慣れない環境でのストレスに自分なりの対処法をかったっているわけですね。
彬子さまは皇族としてのご活動だけでなく、日本美術史の研究者としても活躍されているわけですね。そして学生時代にはオックスフォード大学に留学して博士号を取得したわけですね。
でも執筆期間に、ストレス性胃炎と診察されたことがあったようです。その当時のストレス解消法が書かれていました。
これは留学の時のことを書いた『赤と青のガウン』という本から一部紹介されているわけですね。4~5日間、まったく寮の外に出ないときもあったようです。
博士論文を書く作業は凄い孤独だったようですね。早い人でも最低3年間は同じ研究に没頭し、その成果を言葉として解説しなければいけないわけですね。
それで彬子さまは修士と博士を併せて約5年間同じ研究を続けたようです。それだけ長い時間1つの研究を続けるということは、あとにも先にも博士論文くらいしかないのではないかということですね。
そして美術史の研究には大きく分けて2つのステップがあってまずは材料を集めることでその材料を使って理論的に文章を組み立てる作業があるということですね。
彬子さまは史料調査は好きで博物館で何十年も開けられていない引き出しの中からみつけた書類に目を通し、日本美術に関する記録の断片を拾い集めていく作業は探偵のようなわくわくするということですね。
ただそうやって集めた資料を繋ぎ合わせて説得力のある文章にまとめるという作業は苦手だということですね。確かにそう考えると調べるのは好きだけどそれを論文にする作業も大変なんでしょうね。
最後の1年は論文を書き上げる作業だけになったようですが凄く辛かったようです。資料を集めるのは好きだけど最後の一年は残った作業が論文を書くだけだから辛い作業だけが残っているわけですね。
しかも寮での生活も最悪で彬子さまが寮生活していた環境というのがセキュリティー上の問題でずっと同じ寮の同じ部屋だったようです。
だから1年生や2年生が多く住む建物だったわけですね。まだrん分とかにも追われてないし危機感がないから友達を呼んで寮のキッチンとかでパーティーをしたり週末は夜遅くに帰ってきたりするようです。
だから騒がしいようですね。まぁ寮生活はしたことがないからわからないけども僕もマンションとかで大学生とかが隣の部屋とかだった時があって夜中うるさいこともありましたからね。
彼らからは一応論文を書いていることも分かってくれているようで元気とか調子はどうとか聞かれたりするようですが元気なわけないし基本的に調子はいまいちということでけっこう赤裸々に語っていて面白いですね。
その寮では自分だけが取り残されたような感覚で悲劇の主人公になってしまったかのように感じるということですね。
毎日同じように声をかけられても同じ答えしか返せない自分も嫌になって会話をするのも嫌で人を避けるようになっていったようです。
キッチンで食事とかもみんながキッチンにいない時間帯に笹っと作って自分の部屋で食べたり一人だと手のかかるものは作らないのでおうどんやどんぶりものばかりだったようですね。
ただ現地でも友達がいて毎日電話はしていたから誰とも口を利かない日はないけども、誰とも会わない日はよくあったようです。
でもやはりずっと論文の事ばかり考えてしまってストレスで食事ものどを通らない生活が続いたようですね。それで病院で診てもらったらストレス性胃炎と分かったけども論文を書き終えるまではその生活からは抜け出せないわけですね。
だから薬をもらいながらでまさに博士論文を書くのが原因のストレス性胃炎だから数ヶ月に1度のペースで博士論文性胃炎に苦しめられたと語っています。面白い表現ですね。
まぁストレスと言えば紀子さまもいろいろストレスから病気かと言われていますが根本原因は解決しそうにないから定期的にインフリキシマブを購入しているのかもしれませんね。
ちなみに彬子さまはこのままではいけないと気分転換にロンドンに出かけて大英博物館に行ってオフィスで作業してみたようです。そしたらそこの職場の日本人と日本語で話しをして話をして笑っているうちにだんだん気持ちが明るくなって元気になったようです。
それで集中しようと一人になって閉じこもっていたことが逆にストレスにもなっていたことがわかったようですね。それからは勉強場所を喫茶店とかでしたいりもしていたようですね。
ちなみに行きつけだったのがサンドイッチ屋であまり食べ物のおいしくない英国に会って比較的まともであると凄いストレートな表現でコメントしていました。
パソコンをもち込み、カプチーノを飲みながら、人の話し声をBGMに論文を書いていたようで部屋で書くより論文の執筆がはかどったようですね。
まぁこれはその人の相性もあるでしょうけどね。インターネットが2時間無料で使えるからちょうど時間も決まっていてよかったようですね。
そしてもう一つのストレス解消法がお風呂ですがイギリスは年中完走していて長時間はいると乾燥肌でかゆくなるようです。いろいろ試したけども解消されずにいたらたまたま友人が温泉の素セットを持ってきてくれたようです。
まぁお風呂が好きとかそういう話をしていたんでしょうね。それを使うとかゆみも落ちて凄い良かったようで逆にこれなしでは無理だとなって侍女に頼んで日本から贈ってもらうようにしたようです。
それで数週間後、家から届いた荷物を開けてみると玉手箱のような大きさの桐箱が入っていてかなり重くて恐る恐る霧箱を開ける入浴剤だったようです。
一瞬事態が理解できなかったけども、この桐箱に入浴剤を真剣に詰めている侍女さんの姿が目に浮かんで、おかしくなって笑っていたようです。
なんか彬子さまは文章が面白いですね。一般の人も分かりやすいようなネタを面白く解説する感じで凄い笑いのセンスも感じますね。
毎月何かしら小包がとどき父や祖母からの手紙とかお米とかいろいろ送られてきてその中にいつもアイマスクとかもこもこの靴下とか癒しの贈り物も忍ばせてくれていたようです。
こういった月に1度の贈り物も論文執筆の栄養剤になったようですね。一言でいえば、「とにかく大変で辛かった」留学最後の1年間だけど不思議と「もうやめたい」とは1度も思わなかったようです。
まぁ彬子さまはたくさんの人たちの愛情と応援に支えられていたからだということですが今の悠仁さまは愛情と応援を感じているとは思えないですからね。
紀子さまからは箔付けだけで悠仁さまの事を考えているとは思えないですからね。秋篠宮さまはまだ玉川大学とか悠仁さまの事を考えていそうですが大学選びで今後の悠仁さまの人生を左右しそうですね。
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