週刊新潮に悠仁さまの成年会見について書いていましたね。悠仁さまが成年会見をした3月3日は東京でも雪がちらつく寒い天候だったわけですね。
前日から16度も下がりましたからね。悠仁さまに関してはこれまでも高校入学時の取材や私的旅行とかで声を発せられる場面はあったけど今回のように長時間、まとまったお話を伺うのは初めての機会だったわけですね。
悠仁さまは、最初の質問にお答えになる前に、岩手県などで広がる山林火災を案じられるお言葉を述べられ愛子さまも成年会見で前日に起きた地震で亡くなった被災者の遺族にお見舞いを述べられた場面を彷彿とさせたということでパクリを指摘していますね。
会見時間およそ30分、悠仁さまは終始、メモを見ることなく3年前の愛子さまと同じように会場全体に目を配られながらお言葉を述べられていたということですね。
まぁ愛子さまと同じ時間だけども悠仁さまの方が会話のスピードが遅いのでしゃべっている文字数は少ないんですけどね。
ちなみにハリウッド大学院大学でパフォーマンス学を教えている佐藤綾子特任教授はこれだけの内容を記憶され、メモなしで臨まれたことに驚いたようです。
通常、使い慣れていない単語を口にする際には詰まったりするものですが、会見ではそれが見られなかった。完璧に覚えるまで繰り返し口にされ、滑らかになるまで練習なさったのだと思うということですね。
そして所作についても、政治家などは答弁の際に緊張して唇をなめたりしますが、そうした無駄な動きが一切なかったという事ですね。鏡をご覧になりながらリハーサルなさったのでしょうという事ですね。
そして悠仁さまは折に触れて会場の左右に視線を動かされていましたが、これは愛子さまもなさっていた“視線のデリバリー”というもので愛子さまはほほ笑んでいた場面が多くありましたが、悠仁さまには、今回緊張されたために“自然に湧き上がるほほ笑み”がなかったように感じたけどもそれが逆に初々しく、好感が伝わったようです。
この左右に視線を動かされる場面が確かに多かったですがもしかするとエトセトラジャパンさんもプロンプターではないかという指摘がありましたね。
2列目の後ろにあるのではということですがこれも確かにあのスローペースのしゃべりはその可能性がありそうです。実際に愛子さまの時も端に照明の台があってあそこなら大きなプロンプターを取り付けることが出来そうです。
ちなみに筑波大学というのは聴覚障害者向けに最先端の技術を導入していてシースルキャプションズという透明ディスプレイに字幕を表示するシステムを開発しています。
これはリアルタイムでしゃべった言葉を字幕で表示するシステムで難聴者とのコミュニケーションのために開発されたリアルタイム字幕表示システムですがこれを応用すると英会話もリアルタイムで日本語表示してくれるわけですね。
海外の外国語のスピーチとかもリアルタイムに日本語で字幕表示することも今は出来るのか分かりませんがリアルタイムでしゃべった言葉を翻訳することも時間の問題でしょうね。
そういった分野では最先端を行ってるのが筑波大学で落合陽一さんとかも卒業生で教授としても関わっているわけですね。だから悠仁さまも聴覚障害だとしたらこのシースルーキャプションを用いて別授業を受けていたかもしれませんね。
まぁシースルーキャプションにはもしかすると慣れているかもしれないしプロンプターの可能性はありそうですね。気になったのが悠仁さまの棒読みトークですね。
俳優さんとかも長いセリフを覚えたりしますが棒読みより感情をこめて役になり切った方が覚えやすいと思ったのでチャットGPTに棒読みとどっちが覚えやすいか聞いてみました。
そうするとセリフを「ただ文字として覚えて棒読みでしゃべる」のか「役として感情や動きを伴ってしゃべる」のかという違いは、俳優さんにとっては単に“覚えやすさ”だけでなく、演技そのもののプロセスにも関係するということですね。
一般的には、俳優さんにとって「役に入り込み、状況や感情の流れの中でセリフを覚える」方が定着しやすいと言われることが多いです。
役の動機や感情を理解し、自分自身の動きや表情と結びつけてセリフを覚えると、いわば体感的にセリフが頭に入りやすくなるからです。
セリフと感情・身体の動きが結びつくと、思い出すときも「次はどういう感情だったか」「どういうやり取りだったか」を手掛かりに記憶が引き出せるようになります。
一方、棒読みやゆっくり話すだけの場合、表面的には「抑揚をつけなくていい」「感情表現を気にしなくていい」ため、一見覚えやすそうに思われるかもしれません。
でも俳優にとっては、感情や動きという“記憶のフック”をあまり使わずに暗記する必要が出てくるので、逆に印象が薄れがちで、長文を丸覚えするのが難しく感じることも多いです。
また、実際の舞台や撮影現場では他のキャストとの掛け合いがあるため、自分だけ棒読みでゆっくり話す形を保つのは、リズムやテンポの面でかえって難しい場合もあります。
まとめると、ただ覚えて棒読みでゆっくり話すのは感情的な手掛かりが少なく、記憶の助けとなる要素が乏しい分、むしろ長文をそのまま暗記するのは大変になる可能性があります。
役になりきって感情・状況と結びつけながら覚えるのは感覚や動きの記憶が手掛かりとなりやすく、長いセリフでもまとまりや流れを把握しやすくなります。
だから多くの場合、単に「棒読みでゆっくり話す」方が楽というわけではなく、むしろ役になり切って演じながら覚えた方がセリフは覚えやすいし、全体としても演技がしやすいと言えるでしょうということですね。
まぁだから棒読みよりも覚えるなら抑揚をつけた方が覚えやすいんでしょうね。棒読みよりも抑揚をつけた方が相手の反応もありますからね。
もし成年会見の練習をしているなら棒読みにはならないでしょうからね。思い出が本当にあればその時のことを思い浮かべながら話すだろうしメモを用意してないというのが逆に怪しいですね。
完璧に覚えていても念のために用意するでしょうからね。それに愛子さまはメモを見ずにやったけども天皇陛下のお言葉を引用する時だけ一文字でも間違えるといけないからメモを見たわけですね。
悠仁さまは小学校の時の思い出はハンドベースボールで小学校の卒業文集ではハンドベースボールが一度も出てこなかったわけですね。だから別人だったら思い出を思い出す感じでもないですからね。
まぁ影武者だとしても俳優としてはその役になり切って演じた方が覚えやすいわけですね。そう考えると確かにプロンプターの可能性は高そうですね。
悠仁さまに関しては喋り方にも特徴があって両サイドの口角をちょっと上げてほほ笑んでいるような口の形をされていたけどもこれは“社会的笑い”と呼ばれる、場面に応じて作られるものということですね。
悠仁さまの成年会見に関してはほぼ愛子さまの設定をパクりましたが笑顔や話し方の抑揚に関してはパクることが出来ないわけですね。愛子さまは自然な笑顔でしたからね。
これは真似したくても出来ないわけですね。これまで悠仁さまは、高校ご入学の会見でもマスクをしていて無表情の印象が強かったのですが、この会見でお人柄が伝わったのではないかということですが棒読み会見ですからね。
家族の話題も愛子さまは波のない穏やかな海でサーフボードを浮かべて,そこに3人で座る挑戦をして,見事全員で落下した思い出など,お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれませんと語ったわけですね。
悠仁さまはトンボを観察していると気が付いたら日が暮れてしまっていたなどと語っていて愛子さまの会見への“アンサー”というのか、不思議な統一感を覚えたということでパクリですね。
そして悠仁さまは象徴天皇の存在について『上皇陛下がお考えになってこられ、天皇陛下が先日の会見で仰っていたように、常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います』と述べられたわけですね。
でも悠仁さまが継承するとしたらあくまでも秋篠宮さまの次なわけですね。秋篠宮さまが即位を拒否して悠仁さまへスキップするという想定はされていないわけですね。
秋篠宮さまが即位拒否したから悠仁さまが継承していいですよなんてルールはないわけですね。それに秋篠宮さまは即位拒否しているのでそもそも次の継承者が誰もいない状況ですからね。
戦争についての向き合われ方も上皇ご夫妻や秋篠宮ご夫妻から聞いた話、戦争関連のエピソードなどがありましたら御紹介くださいとあったわけですね。
でも最初は聞かれているのに答えずに後はって聞き返したわけですね。ただ悠仁さまは上皇ご夫妻にお会いした際に戦争についてのお話を伺う機会はございましたとだけ答え詳細についてお話は控えさせていただきたいと思いますと答えたわけですね。
その前には幼少の頃から戦争に関する資料館を訪れたり、沖縄、長崎、広島といった地を訪問したりする機会があってその中で戦争について、詳しく学んだりと話していたわけですね。
でも上皇ご夫妻からは戦争について聞いたことがある程度で詳細は語らなかったわけですね。まぁそれでこないだの舞鶴引揚記念館のことも語っていましたが船の乗り心地について語るレベルですからね。
詳細じゃなくても何か語ればよかったんですけどね。まぁ関連質問だから上皇ご夫妻の作り話は出来なかったんでしょうね。ただ関連質問1では戦争のことについてどう向き合われているかという事でこれは事前に質問があったような受け答えでしたけどね。
まぁ成年会見はなんとか絶賛とまではいかなかったけども無難に大炎上はせずになんとか乗り切ったわけですね。ただ乗り切ったというよりもいろいろニュースにはなったのに国民の関心がなかったわけですね。
成年会見で翌日の関心度ランキング9位でこれだけ注目されないと成年式はどうなるのという感じですね。誕生日も話題だし成年式もやるということで皇室の中では大注目ですが無事に出来るかですね。
18歳で成年皇族になって丸1年後に開催という事ですね。宮内庁は学業優先で延期していましたが卒業式から入学式の間でもなくて19歳の誕生日にするわけですね。
もともと日程も5月中旬と江森さんが出版予定の本で予定を公表していたわけですね。成年式の前日に成年会見と具体的に書いていたから秋篠宮さまから聞かされていた情報でしょうね。
それに週刊誌にも小室夫妻には悠仁さまの成年式の招待状を送付済みと報じられていましたからね。それがなぜか両陛下の責任のように書いていますね。
両陛下が出席する行事は、陛下のご日程が最優先され大きな行事では少なくとも2カ月前に日程を決めておく必要があり、宮内庁はまず、GW明けの5月に行う案を検討していたということですね。
まぁ今年は戦後80年で天皇皇后両陛下も確かに忙しいですがだいぶ前から予定を組めましたからね。3月末から大学入学式までは確実に予定が空いていましたからね。
悠仁さまの成年式を延期しなければいけない理由があったわけですね。高校3年生というのは受験シーズンという事も分かっていて高校卒業後大学に入学が決まっていない可能性も分かっていたわけですね。
それにもかかわらず悠仁さまは加冠の儀に使う冠を予算に計上して制作していたわけですね。年度内にやらないことが決まっていたのなら予算に計上する必要はなかったですからね。
明らかに悠仁さまの事情で延期したわけですね。ちなみに19歳の誕生日にするという事でやはり宮内記者からは『時期が遅い印象を受ける。なぜあえてお誕生日に合わせたのか』『9月6日というのが秋篠宮さまのお考えなのか』『19歳だと民法の成年の18歳とは齟齬(そご)が生じるのでは』といった質問が相次いだようです。
まぁずらすにしても1年ずらす必要がないですからね。三権の長の予定を開けないといけないから9月6日は総理大臣も変わっている可能性も高いですからね。
宮内庁関係者も成年なさったことを内外にお示しする儀式だから本来であれば18歳のうちに執り行われなければいけないということですね。会見でも長官は『なるべく早いほうがいい』というのが秋篠宮さまのお考えであるとも述べていたわけですね。
まぁ秋篠宮家に関しては秋篠宮邸の改修工事の説明も後から経費削減とか嘘が丸わかりの言い訳をしましたが今回も明確な説明がなかったわけですね。
いつも秋篠宮家を擁護の山下晋司氏も成年の年を過ぎてからの成年式には違和感を覚えるということで宮内庁は両陛下のご日程などを踏まえた“総合的な判断”と言うだけではなく、なぜ18歳のうちに行えなかったのかを国民に分かりやすく説明すべきということですね。
まぁでも珍しく週刊新潮が40年ぶりに成年式が執り行われる男性皇族のご活動が、出だしでつまずくなどあってはならないのであると終わっていましたね。
まぁ成年式の延期はよっぽど異例だったのでしょうね。
女性自身で悠仁さまの成年会見について書いていましたね。トマトが虫にかじられてしまうことや、お米がスズメに食べられてしまうこともありますが、野菜やお米を収穫でき、それをおいしく家族で食べることができたときはうれしく感じますと以前から野菜やお米作りをされていることを語ったわけですね。
ちなみに上皇さまや天皇陛下が稲を刈る様子が撮影されたりしますがその時は上にスズメ対策なのかネットがあるわけですね。悠仁さまも本格的に取り組みなら天皇陛下を見習ったらよかったのではないですかね。
お米や野菜はご家族で収穫物を召し上がられる喜びも語られました。ネットやSNSでは予想が低すぎたので賞賛する声が広がっていたということですね。
でも“気がかりなお答え”もあってそれが眞子さんと佳子さまですね。5問目の質問は、「ご両親、姉の小室眞子さん、佳子さまはそれぞれどのような性格で、悠仁さまにとってどのような存在でしょうか。成年にあたって、ご家族からかけられた言葉やふだん話されている会話についてもご紹介ください」と質問されたわけですね。
それについて悠仁さまは秋篠宮さまと紀子さまのエピソードをそれぞれ話して眞子さんと佳子さまについては「姉たちは年が離れていますので、両親が国内や海外に出掛けているときに一緒に遊んでくれたり、本を読んでくれたりして、世話をしてくれることがありました。御料牧場に家族で行った時には、イチゴを収穫して一緒にパフェを作ったことも忘れられない思い出です」と語られたわけですね。
つまり眞子さんと佳子さまのエピソードを、「姉たち」とひとくくりにして話したわけですね。まぁこの映像がないのでその時の様子は映像ではわからず文字情報でしかわからないわけですね。
ただそもそも家族とのエピソードについては他に比べて内容が薄く、淡々とした印象だったということですね。まぁ秋篠宮家はみんな仲が悪いけども悠仁さまとの関係はどうなのかよくわからなかったですからね。
ただ眞子さんと佳子さまについても、質問に沿ってお一人づつ個別に答えてもよかったのではないかという事ですね。よく週刊誌とかでは佳子さまが面倒を見ているとか書いているけどもあれも嘘なんでしょうね。
でも眞子さんと佳子さまについては『姉たち』とひとくくりで語っていたわけですね。まぁ眞子さんについては余計なことを言えないというのはあるかもしれませんが褒めるエピソードなら問題ないですからね。
だからそれぞれ語りにくい“心の距離”があったのだろうということですね。そりゃ秋篠宮邸も私室部分でお前の部屋はないぞってことで眞子さんと佳子さまの部屋は最初から作らなかったわけですからね。
俺が私室部分は占領するから眞子さんの私室部分と佳子さまの私室部分は作らなかったわけですね。実際には佳子さまが一人暮らしをしたいからでしょうが佳子さまの私室部分を作らなかったらその分、悠仁さまの私室部分が広くなりますからね。
そして悠仁さまが語られた眞子さんと佳子さまとのお世話してもらったというエピソードも、すでに繰り返しメディアで報じられたことのある内容だったわけですね。
御料牧場でのイチゴのパフェについては初出しだけども本当はそこに関してもっと踏み込んで関連質問やってほしかったですけどね。パフェづくりも誰がどんな担当をしてパフェを作ったのか聞いてほしかったですね。
ただ眞子さんと佳子さまについては2度にわたって単体の「姉」と述べられ距離が感じられたという事ですね。1問目の質問では公的な活動について、「両親や姉からも、実際に行事に出席した方や、訪問先でお会いした方々のお話を聞き」とお答え3問目でも留学について、「以前に父や姉も留学をしていたことがありましたし」と述べられ、2度にわたって「姉」と表現されました。
まぁ留学に関しては本来は姉たちになるはずですけどね。だからそこには皇室を離れた眞子さんの存在が感じられず、佳子さまのみとされたかったのではないかということですね。
だから悠仁さまがお使いになった『姉』という表現に、“お姉さまは2人”であることを印象づけたくないとのお気持ちがあるように感じたということですね。
現在の悠仁さまにとって“姉は佳子さまだけ”で、眞子さんについては小室圭との結婚で炎上しまくったから話したくないというお心があったのではないかということですね。
まぁ眞子さんの結婚から秋篠宮家の炎上が始まりましたからね。皇室を離れる時に一時金の受け取りを辞退し、結婚に関する一連の儀式も見送られたわけですね。
国民に喧嘩を売って異例なかたちで皇籍を離脱した眞子さんとは“距離を置かざるを得ない”と思われているのかもしれないということですね。
ちなみに小室佳代さんの本も出版されましたがこの出版された日も2018年に小室圭との結婚延期の「お気持ち」をつづった文書を公表された日と同じ日だったようです。
まぁそう考えると眞子さんのように佳子さまもヤバい相手と結婚するかもしれないので薄いエピソードだったのか影武者でも家族のエピソードぐらいは事前に用意できますからね。
まさに天皇ご一家と秋篠宮家の大きな差というのは家族の関係ですね。愛子さまはサーフボードから落ちた話など話し始めると日が暮れてしまうかもしれませんと語りましたからね。
悠仁さまに関しても家族のエピソードについて話し始めると日が暮れるところに関しては真似できませんでしたからね。まぁ成年会見で長い時間会見したので次入れ替わったらいろいろチェックされそうですね。
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