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【凄いぞ乃万さん:八幡和郎が皇室典範で完全論破される】悠仁さまの後は女系容認も直系長子の愛子さまは拒否の矛盾:元明天皇から元正天皇の女系天皇を完全解説

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八幡和郎が皇嗣の知識不足:皇室典範で乃万さんに論破される

八幡和郎がプレジデントオンラインで女性宮家の問題について語っていましたね。皇位継承の問題で国会の方では女性皇族を巡る議論がされているということですね。

ちなみに岸田首相は支持率も落ちで党員数も減っているようですね。それでその原因は安倍派閥の不祥事ではなくてLGBT法案の成立のせいだと保守派から批判が起きているようですね。

まぁ確かにそれはあるでしょうね。保守派というか統一教会とか日本会議の人が自民党の党員だったけどもそういったかたよった宗教思考の人が自民党の党員を辞めて日本保守党に映っているんでしょうね。

ただ保守派の人たちも、岸田首相が安倍晋三元首相の悲願であった皇位継承問題に決着をつけるべく動いていることについては、高く評価しているようです。

自民党では麻生太郎副総裁を会長として「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」を2023年11月に設置して有識者会議の報告書を具体化するということですね。

まぁ安定的な皇位継承といいながら自民党は皇族数の確保しか考えていないんですけどね。そして自民党の中での焦点は、女性皇族だけが結婚後も皇室にとどまることと、旧宮家の男系男子を養子とすることを可能にする皇室典範改正だということですね。

そして立憲民主党は、野田元首相の時には女性宮家案としては結婚後の女性皇族の家族も皇族とし、皇位継承権も与える考えだったわけですね。

ただその上で、女性宮家は将来の女系天皇につながるという慎重意見も併記されていたようです。ただ公明党は、女性皇族だけが皇族として残る案に理解を示しているようですね。

まぁ国会議員だけ国民と考えが大きくずれているんですけどね。これまで皇位継承については、小泉首相の時の2005年、女系天皇を容認する報告を出していたわけですね。

ただそれが悠仁さまが誕生したことで宙に浮いたわけですね。ただその後、外野からの愛子天皇待望論などはあったが、現行の皇室典範の規定で秋篠宮さまが皇位継承1位で悠仁さまが2位になっているのをいわば廃嫡することは、国際的にもほとんど類例がないし、政治的にも実務的にも支持する者は少ないとかいていますね。

ただこれについては乃万さんが皇室典範第1勝皇位継承第3条と4条の動画で詳しく紹介していて4条についての解説で皇嗣のことについて語っていました。

4条では天皇が亡くなった時に皇嗣が直ちに即位するとあるわけですね。でもここでいう皇嗣とは秋篠宮さまの皇嗣ではなくて皇太子または皇太孫のことをいうということですね。

だから秋篠宮さまの皇嗣とは別の意味だということですね。皇太子や皇太孫は次期天皇が確定していることを意味するわけですね。

それで皇嗣というのは次期天皇への即位が確定していない人を意味するということですね。過去にも昭和天皇の弟に秩父宮雍仁親王(やすひと)がいたわけですね。

この雍仁親王は皇嗣になりましたが昭和天皇にお子様で現在の上皇さまが誕生した時に皇嗣でなくなったわけですね。

ちなみにここで乃万さんが解説していたのですが廃太子という言葉はあるけども廃皇嗣という言葉はないということですね。

秋篠宮さまは皇嗣だから廃太子でもなければ廃皇嗣ともいわないしそもそも皇嗣は現れたり消えたりする存在だということですね。

天皇陛下が2020年に即位された時に秋篠宮さまは皇嗣になりしかも立皇嗣の礼をしたけども、これはこれからも立場が変わるかもしれませんよという儀式をしたわけですね。

時期天皇になるかならないか全く決まっていない立場になりましたという儀式をしたということで過去にこういった例はなかったようです。

まぁ完全に税金の無駄になる儀式ですよね。秋篠宮さまは大嘗祭は宗教的な儀式で税金でやるべきではないといったのに自分は完全に税金の無駄になる立皇嗣の礼をしたわけですね。

つまり皇室典範を男系の男子から皇統に属する皇長子に変更したら次の皇太子は愛子さまになるわけですね。ただ乃万さんはまだ5カ月前の段階では女系を認めていなかったし愛子天皇も認めていなかったですね。

コメントでも女性天皇になることについておしかりがあったようです。この時は愛子さまが皇太子になり天皇になっても通常の天皇ではなく女性天皇になると強調していました。

それでそのお子さんのお父様つまり愛子さまの配偶者が皇統に属していなければ女系になると危機感を示していました。

我が国は女系を認めていないと発言していたわけですね。ただ元明天皇から元正天皇は一部の人は女系と認めていなくても海外から見たら女系になるわけですね。

まぁこの辺の認識が乃万さんも今後変わっていくか注目ですね。ちなみに立憲民主党は、悠仁さまの後が続かなかったらという含みで、女性皇族が結婚したのち女性宮家を創設する案が、野田首相時代に持ち出されたということですね。

でもこの時には悠仁さままでの流れをゆるがせにしてはいけないとまでは書かれていなかったと思いますけどね。この辺が勝手に都合のいいように解釈する八幡和郎らしいですけどね。

まぁそれから上皇さまが退位を希望されて特例として処理し、秋篠宮さまを皇嗣とし皇太子と同じ扱いとして将来の皇位継承を確定させるとともに、女性宮家等の検討をすると付帯決議されたということですね。

まぁこれは完全に間違いではないけども皇嗣は暫定的なポジションでこれから皇室典範改正で順位が変わる可能性があるということで乃万さんからも論破されていますね。

付帯決議では皇位の安定継承が話し合われなければいけないのですが、皇族数の確保に関する報告書鹿出てきていませんからね。

ちなみにここでは小泉政権の時の報告書は上書きされて無効になって二つの案が併存しているのではないとしていますね。

まぁそれは宗教政権が終わってまた上書きすればいいだけですからね。そもそも政権によって報告書が変わることが一番問題ですからね。

政権が変わっても変わらない安定的な皇位継承の結論を出すためには国会議員ではなくて専門家が話し合って決めて多くの国民がそれに納得しなければ成立しませんからね。

今は統一教会や日本会議の指導の下で議論された報告書が出てきただけですからね。議論が遅れた理由には眞子さんの結婚問題も影響しているということですね。

そして現在の有識者会議の報告書では1つ目に制度的に安定性が重要として2つ目は次世代の皇位継承者としては悠仁さまがいる中で仕組みに大きな変更を加えることには慎重にあるべきということですね。

そして3つ目が有識者のほとんどが悠仁さまが将来の天皇になるまで変更すべきではないという意見だということですね。そして4つ目が皇族方のこれまでの人生設計を安直に変えるのはよくないという報告書が出たわけですね。

まず1つ目が一番重要のはずですが非常に不安定な報告書が出てきたわけですね。そして悠仁さまがいる中での仕組みということで完全に秋篠宮さまを無視した報告書でなぜ無視したのか秋篠宮さまがクズだから無視するならその息子の教育も問題視すべきだろうということですね。

逆に年齢的に秋篠宮さまが即位せずにスキップするなら秋篠宮さまは何のために立皇嗣の礼の儀式をしたのか、そもそもその儀式に何の意味もなかったことに気付くはずですからね。

そして有識者のほとんどが悠仁さままでの流れを支持ということですが有識者を選んだのは今の政権だから都合のいい人選で漫画家とか素人も含まれているので意味がないということですね。

皇族方の人生設計は選択肢を与えればいいだけですからね。女性皇族は必ずのこれではなくて結婚して皇籍離脱も選択肢に入れてあげればいいだけですからね。

こういった簡単なことが考えられない人が八幡和郎をはじめとする男系男子の支持者には多いのが一番の問題ですね。

まぁその上で悠仁さま以降の皇位継承について考えるべきで、悠仁さまが結婚され、お子さまがどうなるかのめどがついてから議論を深めるべきだという主張ですね。

つまり安定的な皇位継承なんてどうでもいいだろという考えで皇室のことは全く考えていないよというのが八幡和郎の主張だということですね。

悠仁さまが上皇さまが退位した時と同じ年齢になるのは2092年だから悠仁さまに男子のお子様がおられなかったとして、2070年頃までに決めたらいいことだという主張ですね。

上皇さまは安定的な皇位継承を願われましたがそれまでに悠仁さまにもしものことがあったらとかそういったことは考えていないわけですね。

つまり天皇陛下のお願いは無視しろというのが八幡和郎の考えだということですね。相変わらずずれていますね。

ただ一応悠仁さままでの流れは決めた上で皇族を増やすための 3つの手立てということですね。公務の担い手が不足する中で、皇族を少し増やしたいし、なにか事故などで緊急に皇位継承者が必要になったときや、悠仁さまに男子が生まれなかったときの皇位継承者の供給源も考えておかねばならないということですね。

つまり悠仁さままでの流れは決めた上で皇位継承者を増やしておかなければという考え方ですね。その三つの手立てを提案ということですね。

それが内親王や女王が結婚後も皇族の身分を保持する案と皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする案と皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする案ですね。

ただこの女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案は家族が皇族にはならずに一般人のままということですね。ただし、女性皇族が皇族にとどまることが嫌だと言われたら、無理強いはできないということですね。

そして配偶者は皇族にならないといっても、海外などに一緒に行かれることもあるだろうから、女性皇族が結婚後も皇室に残る場合、結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性もあるということですね。

まぁここが考えてい無すぎですね。配偶者が一般人になったときの問題点を全く議論していませんからね。

それと旧宮家の男系男子を養子にする案は受け入れる宮家も必要だし受け入れる11宮家のお子さんも必要だけどそんなやついるわけないだろと竹田恒泰は語っているわけですね。

そして直接皇族に関しても今まで一般人だったのに明日から皇族ですと言って受け入れる国民がいるわけないだろということですね。

それと今後の検討における 3つの論点ということで、これからの検討における第一の論点は、有識者会議の結論を覆して、配偶者や子どもにも皇族身分を与えるべきだということですね。

まぁこれはまともな意見ですね。八幡和郎ですらさすがにそれは覆すべきだと考えているようですね。でも秋篠宮さまはスキップして悠仁さままでの流れはゆるがせにしてはいけないという矛盾した考えには賛成しているようですね。

そして第二の論点は、旧宮家の養子案も同時に決めるべきかどうかということですね。これも急ぐ必要があるということで、皇族の養子についても、ご高齢の常陸宮さまがご健在のうちに養子をとられるほうが、民間から嫁いだ妃殿下たちが養子をとるより自然だということですね。

でも常陸宮さまは現在88歳でこれから小さい子供を養子として受け入れても帝王教育なんて無理だし自分たちが育って環境と今では違いますからね。

SNSの使い方なんて教えれませんからね。そして第三の論点は、佳子さまと愛子さまだけなのか、他の女性皇族も対象とするのかですね。

まぁこれに関しては内親王もたくさんいてたら対象外だったでしょうが、皇族数もかなり減少していますからね。

ただ残したところで配偶者が一般人なら同じ問題を抱えますからね。それで上皇さまの子孫以外を 皇統から排除するリスクもあるので愛子さまと佳子さまだけのために女性宮家を設けても悠仁さまを含めて3人だから女系を含めたからと言って順調に増えていくかはわからないということですね。

それと八幡和郎は女系も潜在候補とすることに反対ではないようです。11宮家も男系男子だが明治天皇や昭和天皇から見たら女系だから皇族女子が結婚後に皇族身分を維持するという制度の対象から三笠宮家と高円宮家の3人を外す理由もないということですね。

まぁ悠仁さまの後だったら女系を容認ということでしょうね。もうそれだったら最終的に直系長子を容認しているわけだからわざわざ傍系よりも直系長子の愛子さまの方が現実的と分かっているはずなんですけどね。

矛盾だらけの主張ですね。ちなみに男系男子の矛盾だらけの主張ということで女系に関してのすでに誕生しているよと小林よしのりさんの漫画で解説していましたね。

女系天皇すでに誕生を完全解説:女性天皇は凄かった

小林よしのりさんのゴーマニズム宣言の漫画に母から娘へ皇位継承された元明天皇から元正天皇のことについて詳しく書かれていました。

よく女性天皇は中継ぎと言われたりしますが元明天皇は平城京の建設や流通貨幣も国内でこの頃初めて作られたわけですね。

そしてこの頃に古事記も完成させたわけですね。元々は天武天皇の頃にいろいろな資料を集めて整理し作り上げていたわけですね。

それが天武天皇が崩御されて中断していた古事記を完成させたわけですね。天武天皇は40代で元明天皇は43代だからそれまで中断されていたわけですね。

日本最古の歴史書で古事記は712年に完成しました。そして日本書紀に関しては720年に完成しました。これはシナ王朝にむけた公式の史書として漢文で書かれているわけですね。

それに対して古事記は皇室の詩的な書として日本古来の言葉を行かした万葉仮名(がな)が使われているわけですね。

古事記は神話、伝説、そして天皇家の系譜を中心に描かれているわけですね。それに対して日本書紀は中国に向けての文書でもあるから政治的な意図も含まれているわけですね。

そして元明天皇の夫は天武天皇と持統天皇の子供で草壁皇子で男系男子だったわけですね。その子供が文武天皇(もんむ)と元正天皇と吉備内親王(きび)がいたわけですね。

それで41代の天皇の持統天皇は次の天皇として子供の草壁皇子に継がせようとしていたわけですね。でも草壁皇子は即位することなく28歳で亡くなったわけですね。

それで持統天皇は孫の文武天皇に譲位したわけですね。まだ15歳での即位ということで当時としても政治的実績を持つ年配者しかなれないのが慣例だったので15歳での即位拝礼中の異例だったようです。

でも文武天皇は25歳の若さで亡くなるわけですね。そして文武天皇には男系男子で後の聖武天皇となるお子さんがいたけどもまだ幼くて遺言で母親の元明天皇が継承したわけですね。

つまり母への譲位ですね。これも異例中の異例だったわけですね。でもその元明天皇が古事記を完成させたり平城京を建設したり偉業を成し遂げているわけですね。

そして即位して8年ほどで娘の元正天皇に譲位したわけですね。この母親から娘への譲位も異例中の異例だったわけですね。

この時に聖武天皇も15歳になっていて文武天皇が即位した時と同じ年齢に達していましたがまだ幼いということで娘の元正天皇が即位したわけですね。

つまり15歳という若さでの皇位継承は過去にも行われていたけども年齢が若すぎるから中継ぎということではなくて過去にも15歳で即位した例はあったけども母から娘に皇位継承されたわけですね。

これは男系男子が嫌っている女系継承とも言えるのではないかということですね。元正天皇の父親は草壁皇子ですが元正天皇の即位より26年も前に亡くなっているわけですね。

そもそも皇室に大事なのは皇位継承であって皇位の皇とは天皇陛下のことを指すわけですね。つまり天皇陛下がどう継承されていくのかが大事なわけですね。

だから血統の継承よりも皇位の継承の方が大事なわけですね。母から娘に皇位が継承されて学問的にも母から娘へ皇位継承ということですね。

つまり草壁皇子から継承されたわけではないわけですね。皇位継承も息子から母親とか母親から娘という感じで能力的に適任であればそれ以上の資格は求められていなかったわけですね。

つまり男系男子というのは明治に出来たもので憲法でも女系は容認されているので皇室典範だけ特例法でも何でもなく普通に直系長子に改正してしまえばいいわけですね。

なんだったら場合によっては娘から母親への皇位継承もありにも出来るのではということですね。

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