プレジデントオンラインでまた初めての人が記事を出していましたね。政治学者の笠原英彦氏ですね。皇位継承問題をめぐる官邸と宮内庁の動きについて紹介していました。
皇位継承問題について本も出版しているようです。安倍政権になってから特に皇位継承の問題を先延ばしにする傾向がみられましたが2016年7月、上皇さまが突然、「生前退位」の意向を示したわけですね。
そして翌8月にビデオメッセージとして国民に伝えられたわけですね。これは東日本大震災のときのビデオメッセージとは異なり、大きな政治性を帯び、天皇の「おことば」が違憲とみなされる危険すらあったようです。
「平成の玉音放送」とも呼ばれたようです。そもそも天皇が内々に「生前退位」の意向を示したのは、意外に早く2009年頃のようです。
まぁ上皇さまもいろいろ手術とかありましたからね。2008年末、上皇さまが外出先で不調を訴え、直ちに皇居に戻り検査の結果、不整脈と診断されたわけですね。
そして宮内庁の羽毛田信吾長官がどうねん12月12日付の毎日新聞で「陛下ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題を憂慮のご様子」と述べたわけですね。
つまり生前退位の意向はだいぶ前からされていて天皇が初めて「生前退位」を取り上げたのは、2010年7月の参与会議だったようです。
アキラッチの皇室のパクリ
当時、参与会議のメンバーは、天皇、皇后のほか、羽毛田宮内庁長官、川島侍従長、それに3人の宮内庁参与、湯浅前宮内庁長官、栗山元外務事務次官、三谷東大名誉教授だったようです。
これは文芸春秋2016年10月号に掛かれていてこの時に美智子さまは上皇さまの退位には反対だったようです。やっぱり美智子さまは上皇さまに退位してほしくなかったんですね。
今もアピールしまくっていますからね。こないだも歌集10万部と記事になっていましたね。あれは愛子さまと佳子さまが鴨場接待した日でなぜこの日に発表するかなって感じですからね。
まぁメディアが宣伝したからある程度は売れるだろうけども10万部というのはやはり購入させられているんでしょうね。
ただ逆に言うとたった10万部しか売れていないわけですね。歌人の永田和宏さんは出来るだけ広く知られてほしいといったのに10万人にしかしられていないわけですね。
悠仁さま大好き結婚して
人口の0.1%にしか知られていないわけですね。それだったら宮内庁HPで公開した方がまだずっと見れるわけだし他の皇族と一緒に公開したらいいですからね。
結局金もうけに走ったかとしか見られないですからね。まぁ上皇さまに退位してほしくなかったように愛子さまの公務に被せてきて今でもアピールしたくてたまらないのが伝わってきますね。
アキラッチの皇室のパクリ
まぁただ上皇さまはおそらく2008年末の体調不良を機に、象徴天皇としての務めが果たせなくなる不安から、こうした発言をしたのだろうという事ですね。
関係者は、天皇の高齢化に伴い公務を軽減しても、国民の理解は得られるとして、摂政を勧めたようです。でもこれに対して、上皇さまはあくまでも「摂政ではだめ」として一歩も譲らなかったようです。
ただ退位については、憲法にも皇室典範にも規定がないから宮内庁も官邸側と調整が難しかったようですね。でもすでに2016年以前から、宮内庁と官邸の間でビデオメッセージの製作に向けた協議が進められていたようです。
ただその法整備をめぐる調整は難航していたようです。だからNHKによる「生前退位」報道は、宮内庁サイドがしびれを切らしてフライングに至ったのではないかという観測もあるようです。
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つまりビデオメッセージは事前に収録していて官邸がなかなか動かないから強引に宮内庁が動いたという事ですね。官邸は早くから摂政の設置も一つの有力な選択肢と考えていたけども、宮内庁はあくまで天皇の意向を受け典範の改正をめざしたわけですね。
だから上皇さまと宮内庁は明らかに安倍官邸と対立関係にあったようです。それで皇室典範を改正して天皇の「生前退位」を制度化するには、その条件として天皇の意思表示が必要か否かを定めねばならないわけですね。
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でも天皇の意思表示によって「生前退位」が実現することになれば、それは憲法に抵触しないのかということで「生前退位」にはデリケートな側面があり、8月8日のビデオメッセージでも「お気持ちがにじむ」などとハッキリと言わない表現で天皇の退位への要望が表明されたわけですね。
政府は国民が天皇のビデオメッセージを聞いて、そこから天皇の真意を汲み取り、国民の退位に対する圧倒的支持を受け止める形で法整備を進めようとしたということですね。
だから結局は国民の声が届いて改正に動いたという事だから国会議員はほとんどの議員が悠仁さままでの流れはゆるがせにしていないけないという間抜けが議員ばっかりなので逆にインフルエンサーの方がいいかもですね。
まぁそれを強く訴えれる人でホリエモンとか選挙に出たら確実に議席をとれるような人がいうとかなり動き出しそうですけどね。
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泉房穂さんとかは女性・女系天皇のワンイシューで政党を作ることはないだろうけどもそういうような人が立ち上がるしかなかなか国会を動かすのは難しいのかもしれませんね。
まぁそれにしてもやはり美智子さまはアピールしたくてたまらないから上皇さまには退位してほしくなかったわけですね。ここに関しては上皇さまの生前退位の考えを支持したいですね。
ただ退位されてからもずっと三権の長が誕生日に上皇さまのところに挨拶に行ってるわけですね。これもおかしいですよね。二重権威と思われたくなければやめればいいのにこれも美智子さまの意向なんですかね。
本の出版とかもそうだけどメディアが出版させてほしいというのと美智子さまや秋篠宮家にとっては売れて人気をアピールしたいという思いがあるんでしょうね。
短歌を見てほしいなら宮内庁のホームページで公開した方が販売するよりも多くの人に見てもらえますからね。美智子さまはそもそも売り上げが欲しいわけでもないだろうし褒めてもらいたいだけなんでしょうね。
佳子さまに関して1年間に3冊の写真集が出ましたからね。当然皇族の許可が必要だから佳子さまが喜んで写真集を出してといったんでしょうね。その為に出勤風景の写真を撮ったりしたんでしょうね。
まぁメディアも真実を伝えてほしいですね。
美智子さまの兄の正田巌さんが亡くなりましたね。93歳ということでかなり長生きの家系なんですね。しかも3月5日に亡くなって11日に発表だから遅いですね。
なんか遅くても2~3日で分かりそうだけどもなんでこんなに遅れたんですかね。ちなみに正田さんは、日清製粉の社長だった正田英三郎さんの長男で、美智子さまの3歳上の兄ということですね。
美智子さまは来月3日までの30日間、喪に服されるということでしばらくはお出かけ出来ないようです。上皇ご夫妻は3月14日に百合子さまの百日祭の儀が終わったことに伴い、豊島岡墓地(としまがおか)を訪れる予定だったようです。
まぁ葬儀も終わったようだから上皇ご夫妻も特に行かなかったんでしょうね。ちなみに美智子さまの父親の正田英三郎さんが亡くなった時は上皇ご夫妻が通夜の会場に行かれたようです。
1999年6月に東京南青山の青山葬儀所に行かれたようです。ただ今回はお兄さんだからということで上皇さまは行かなくて分かりますが美智子さまも行かないんですね。
ちなみに父親が亡くなった時にこの兄の正田巌さんが喪主をしたようです。ただ正田巌さんが亡くなったら誰が喪主をするのかなって感じで息子さんはいるようですが美智子さまもあったことがあるとしてもあまり知らないでしょうからね。
だから葬儀も美智子さまは行かなかったんでしょうね。側近によると美智子さまは深く悲しみながらも、お変わりなく過ごされていると発表していましたね。
まだ妹さんと弟さんも生きているようですね。ちなみに亡くなった正田巌さんは凄い人で東京大学法学部を卒業して日本銀行監事も務めた人という事ですね。
日本銀行監事ということは日本銀行を取り締まるという事ですね。日本銀行が変なお金の使い方をしていないかとかそういうことを取り締まるんでしょうね。
だから凄い金持ちでしょうね。なんか週刊誌やメディアもいろいろ買収されているのか美智子さまの持ち上げばかり書きますがもしかするといろんなところにお金が動いていたのかもしれませんね。
お金だけではなくて圧力もかけれるのではと感じちゃいますね。1985~94年に日銀監事を務めたということで10年ぐらい監事をしているわけですね。
しかも正田巌さんは日本銀行監事も凄いですが妻は濱口雄幸(おさち)さんという第27第総理大臣のお孫さんと結婚していたようです。だから美智子さまを貶める記事をかいたら政治的な圧力もできそうですね。
濱口首相は1929年から1931年まで首相でその時は昭和天皇ですね。ちなみに美智子さまが生まれたのが1934年だからそのお孫さんもいろいろ影響力はありそうですね。
ちなみに息子さんは2人いて一人は東京電力から日本自然エネルギー社長に就任しているようです。もう一人はJTBのようですが特に重要な役職にはついてない感じでした。
まぁなぜメディアは美智子さまの言いなりのように持ち上げ報道をしまくったりするのかちょっとよくわからないですね。ただ美智子さまのお友達とかも年齢的に亡くなっていってますからね。
徐々に美智子さまの影響力も亡くなっていってるんでしょうね。まぁ美智子さまの妹の安西孝之さんも秋篠宮さまと似ているから本当の父親かと言われていますがこの人も91歳でまだ生きていますからね。
この人の祖父も森コンツェルンの創業者だしいろんな役職について日本ゴルフ協会のトップだったり日本体育協会の会長もしていましたが次に会長を務めたのが森喜朗元首相ですからね。
なんかいろいろと政治家ともつながっていそうですね。まぁその影響力もどんどんなくなっているのかもしれませんね。
女性自身に美智子さまのことが書いていましたね。曽野綾子さんが2月28日に93歳で亡くなったわけですね。文学の友という事で70年の交流があるようです。
1953年に美智子さまは聖心女子大学文学部に入学された当時は曽野綾子さんは才能あふれる新人小説家として注目される存在だったようです。
美智子さまが聖心女子大学に入学した時に曽野さんは4年生だったようです。だから大学生の頃から作家として有名だったわけですね。美智子さまとしても憧れの先輩として見ていたようです。
在学中も曽野さんは美智子さまのことを知っていたようですが卒業後に親しくなったようです。美智子さまは曽野さんの作品の愛読者でもあったわけですね。
美智子さまは皇族になってからも御所に曽野さん夫妻を招いていたようです。ちなみに夫さんも凄い人で三浦朱門(しゅもん)さんで作家ですが他にも日本大学芸術学部教授や文化庁長官とかいろいろな経歴があります。
ちなみに文化庁長官の時は「女性を強姦するのは、紳士として恥ずべきことだが、女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」とかいろいろ問題発言をして注意されたことがあるようです。
まぁそんな人と長年の交流があるわけですね。だから曽野綾子というのは作家の名前で本名は三浦という事ですね。まぁ曽野さんと会う時は先輩としてお話をするような感じだったようです。
曽野さんも美智子さまとの誕生日のエピソードを語っていて美智子さまの誕生日に呼ばれて30分ほど音楽会をされるようです。美智子さまはそこでピアノを担当してプログラムの最後には伴奏・白樺とあるようです。
この白樺というのが美智子さまのお印だから美智子さまのことを意味するようです。曽野さんは一般国民の生活を天皇皇后両陛下にお伝えするパイプ役でありたいと願い続けていたようです。
2019年には週刊誌のインタビューで答えていますが美智子さまが葉山の御用邸に行かれるときは静養中に電話があってそこから車で30分ぐらいの距離だから曽野さん夫妻のお宅にくるようです。
そして夕食を召し上がってから帰られるようです。かなりズブズブの関係ですね。特定の個人の家に天皇皇后両陛下がお邪魔するわけですね。
当然個人の家の周辺は物凄い警備が敷かれるわけですね。それだったら葉山の御用邸に呼べばいいんですけどね。家は大根畑の中にあって田舎料理を出されるようです。
大根の煮物とか新鮮な大根の葉っぱの浅漬風とか会話も大根の値段が高いとか安いとか夫婦喧嘩をしたとかそういう普通の話をするという事ですね。
ちなみに上皇ご夫妻は2007年にスウェーデンやエストニアを訪問する前に記者会見で御身分を隠して1日を過ごすとしたら何をなさりたいか質問があったようです。
そしたら美智子さまは学生の頃によく通った古本屋さんに言ってもう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思いますとのべたわけですね。
なんかこれを当時の皇后として発言してしまうところがヤバいですね。立ち読みは違法ではないですが本屋さんとしては利益にならないですからね。
じっくりと欲しい本を探したいとかそういう表現ならわかりますが立ち読みをしたいと発言したわけですからね。そしてその話を聞いて曽野さんがお忍びで渋谷の大型書店で過ごすことが出来るように計画を立てられたという事ですね。
古本屋でいいと言ったのに大型書店ですからね。金持ちの遊びって感じですね。しかもズブズブの関係ですからね。この話を聞いて曽野さんは不可能ではないと思い2015年に実行したという事ですね。
ちなみにこのことについて文春でも詳しく書いていましたね。美智子さまがお忍びで訪れたのは渋谷の東急百貨店本店のジュンク堂のようです。
美智子さまがくれぐれも過剰な警備や他のお客の入場制限など、特別扱いはしないように、とおっしゃったので、ご来店は朝10時の開店と同時ということになったようです。
東急本店には、地下2階の車の降り口の目の前に、書店までの直行エレベーターがあって開店と同時ならエレベーターに乗り合わせる客もあまりいないだろうしほとんど誰にも気づかれずに書店の中を見て廻れると考えたわけですね。
この作戦の前には数人の各界の実力者が集まって下準備をしてくれたようで「できるだけ物静かに目立たなく」すべてが動くように、ということで計画されたようです。
それで予想通り開店直後の大書店は客も2、30人という程度で、それが広い売場に散らばってしまうと、ほとんど目立たないわけですね。
皇宮警察とかも私服でサラリーマン風の格好をしていたようです。それと曽野さんと旦那の三浦朱門だけということですね。曽野さんと旦那の三浦朱門さんが美智子さまが立っている書棚から10メートル以上離れた所で立ち読みしていたようです。
まぁ心配だったのはツイッターとかで「美智子さまが渋谷にいるぞ。すぐ来い」とか投稿されたら困るということでしたが幸運なことにそうした人は開店早々の書店には来ないということですね。
後でマスコミから、美智子さまはどういう本の棚を見ていたのか聞かれたが、それはプライバシーに関わることだから、と答えなかったようですが本当は知らなかったようです。
ただここで分かることは本当に立ち読みだったことですね。気に入った本があれば代わりに曽野さんに購入してもらうでしょうからね。本当に立ち読みで終わったわけですね。
途中赤ちゃんを背負ったお母さんが明らかに売場の美智子さまに気づいて、一瞬ひるんだが、彼女はそれだけで遠ざかったということでもう一人男性の学生らしい人がぎょっとした顔をしたが、彼も数秒後には視界から消えたところをみると、どこか遠くの書棚の間に移動したのだろうということですね。
まぁこのことから分かるようにこれは美智子さまを見てぎょっとしたというか美智子さまを見るとみんながこっちを一斉に見たからぎょっとしたのかもしれませんね。
書店で全員からにらまれることがないですからね。美智子さまの方を見たらみんなが自分の方を見たらそりゃぎょっとしますよね。約1時間立ち読みして書店の小さな応接室にお引きあげになり、そこで小休止されたということですね。
この頃から約1時間だったんですね。どこにいっても約1時間ですからね。もともと書店の社長と曽野さんも打ち合わせて小休止の話もしていたわけですね。
美智子さまは時間がなくて、児童図書と文房具の売場をご覧になれなかったことが少しお心残りだったと言っていたので次にはもう少しお時間を頂いて、最近の文房具もご覧になれるようにしよう曽野さんは思ったようです。
もうここでわかるように美智子さまがいかにわがままかですね。普通はここまでお膳立てしてくれて皇宮警察まで私服を着て警備してくれたり凄い迷惑をかけているわけですね。
だから嘘でも凄い満足したことをその日ぐらいは言えばいいんですけどね。それが児童図書や文房具売り場も見れなかったことが心残りと語られてまた皇宮警察は私の為に動けよと命令しているわけですね。
書店では、あらかじめ約束していたコーヒーを出してくれてコーヒーの味を気になさらないで下さい。まずくても喉が潤うだけでもそういう時の飲み物はほっとするものですからと語っていたようです。
まずいコーヒーをお願いしていたのにおいしいコーヒーじゃありませんかというと美智子さまが変な顔をなさったとも思わないが、私は「まずいコーヒー」が登場するはずの経緯を話して美智子さまは笑って下さったということですね。
普通はコーヒーではなくてお茶だと思うんですけどね。お茶だったらまずいとかそういうのはあまりないですからね。
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