遅延常習の嘘:ミテコの大遅刻
女性セブンでまた美智子さまの指示なのか雅子さまへの嫌味が書かれていましたね。雅子さまの誕生日に両陛下が上皇ご夫妻の挨拶の為に仙洞御所へ足を運ばれたわけですね。
そして雅子さまは沿道に集まった人々に良く見えるように座り方を工夫されていたということですね。リラックスされた表情だったということですね。
今年は1年を振り返り3600文字にも及ぶ力作の文章ということですね。かつては誕生日に会見が行われていたけども療養入り以降は文書で感想を述べられているということですね。
これは嫌味な質問をする記者がいるからですね。そして今回は宮内記者から文書でかまわないから質問に回答する形式はどうかと要望があったようですが実現しなかったということですね。
まぁ今の買収された宮内記者の質問には答えない方がいいですね。ちなみに過去には文書の公表後に些細な言い回しの修正とか単語の追加などが行われたこともあったようです。
これは皇太子妃時代に雅子さまへ心無いバッシングが続いた時期ということですね。そんな修正させるぐらいバッシングがあったんですね。
宮内庁も目を通して文書を出しているのにそれは宮内庁の責任でもあるんだから宮内庁が反論すればよかったんですけどね。そしてまた例年文書をギリギリまで内容を吟味して書く傾向があるということですね。
だから記者たちに文書を渡すはずの時間を過ぎてしまうこともあったということですね。また嫌味な書き方ですね。事前に書いてもどうせ情報が洩れて週刊誌でいろいろ書かれるだけですからね。
そういう状況にしたのは記者の責任だと思いますけどね。そして今年は誕生日当日が月曜日だったこともあって12月6日の夕方に記者に文書が配布される予定だったようです。
文書が手渡しで配布される予定だったけども時間になっても一向にその気配がないということですね。そして夕方を過ぎ夜が更けてからも届かなかったということですね。
だいたい文書は雅子さまが書いてそれを最終的には西村宮内庁長官がチェックして出されるでしょうからね。
だから西村宮内庁長官がわざと自分のところでせきとめて美智子さまの指示で遅く提出して批判が行くようにしている可能性がありますね。
夜が更けてからも届かないから担当記者たちはいったん解散となっということでこの記者たちは無能な人たちの集まりであることがここでもわかりますね。
雅子さまとは連絡が出来なくても宮内庁とは連絡が出来るわけですね。そして雅子さまが出した文書が直接宮内庁の目を通さずに公表されることは無いわけですね。
つまり宮内庁に聞いたらまだですよとかそれがわかるわけですね。そしたら西村宮内庁長官がもう定時で帰ったから今日は出ませんとかそういう情報がわかるわけですね。
でも仕事が出来ない記者とかはその確認作業のことをすっかり忘れているわけですね。だからずっとじっと待っているだけで言われないとできない人たちの集まりなわけですね。
だから言われたままのことをして報道統制と言われたら分かりましたと言いなりなわけですね。ちなみに文書は結局日付が変わりそうになるタイミングまでずれ込みメール配布だったようです。
つまり西村宮内庁長官のチェックが遅くなったということですね。もし連絡が付かなかったのなら西村宮内庁長官が高齢だから仕事中に寝て休んでいたんじゃないですかね。
全て雅子さまが悪いというような書き方ですからね。普通に考えたら宮内庁がチェックすることぐらいは分かりますよね。ちなみに遅延常習のと嫌味な書き方をしていますね。
遅延常習の背景には不完全なものを急いで出すより時間をかけてでも完成度を高めたいという雅子さまのお考えがあったのでしょうということですね。
まだ令和になっても雅子さまの批判をしたいんですね。それで早く秋篠宮家に皇統を移したいんでしょうね。百合子さまが薨去されて弔問されたりしたから例年通りの段取りには行かなかったはずと言いながら毎年そんな感じで遅刻と嫌がらせの記事を書いていますけどね。
別の宮内記者はむしろそういうことがあっても一応ギリギリだけどメールでも時間内に文書が間に合っただけでも担当記者は安堵していたとまたなんか嫌な書き方ですね。
でも遅延が当然のことと周囲が認識されること自体が問題をはらむとして雅子さまの誕生日に際して文書と同時に医師団の見解が公表されたということですね。
遅延が常態化しているのだからそうした事態を見越して雅子さまに早め早めの進行を進言してお支えする側近がいてもよさそうだが誰もいないということですね。
まぁそれを言うなら遅刻遅刻と報じながらわざと30分も大遅刻する美智子さまに関してはいつも滅茶苦茶持ち上げた記事を書く女性セブンの記者にもだいぶ問題が多いと思いますけどね。
コンサートはいつも30分遅刻して私が美智子よと言って登場するスタイルに苦言を呈することができる職員はいないのかという記事でも書いてほしいですね。
上皇さまは無視:美智子の韓国
女性セブンに美智子さまのことが書いていましたね。わずか1か月半前に手術を受けられた美智子さまが、立ち上がって、自らの足で歩かれる姿は驚きをもって受け止められたということですね。
つらいリハビリに励まれ、驚異的な快復を見せられた美智子さまの胸中には、かつて訪問が果たせなかった約束の地へのお気持ちがあったということですね。
それが韓国ですね。日本と韓国の間で「基本関係に関する条約」が結ばれて国交が正常化したのは1965年でそれから60年の節日を来年に控え、いまでは両国を年間900万人以上が行き来しているわけですね。
ただ飛行機でわずか2時間足らずのいちばん近い隣国ですが美智子さまと上皇さまにとっては途方もなく遠い地だったということですね。
美智子さまは11月16日、薨去された百合子さまの弔問のため、上皇さまとご一緒に三笠宮邸を訪ねられ車を降りた美智子さまは、黒い杖をつきながら、自らの足で歩かれたということですね。
手術から1か月半しか経っていないのに誰の助けもなく車から降りて上皇さまの手は取っていましたが上皇さまは美智子さまのことはお構いなしに歩いていましたからね。
普通なら90歳だとリハビリが無理だから手術を諦める人が多いわけですが大腿骨の骨接合術を受けられもう自分の足で歩いているわけですね。
ちなみに海外のデータでは、大腿骨骨折から1年後には、6割が移動や食事、排泄といった日常動作のどれかができなくなっているという研究結果が出ているようです。
そもそも大腿骨と言うのは骨の中でも一番頑丈な部分だからそこが骨折するということはそうとう骨が弱っていて骨粗鬆症は間違いないわけですね。
若い人なら転倒したぐらいではどれだけ打ち所が悪くても高いところから落ちるわけじゃないから骨にひびが入る程度なわけですね。
まぁ90歳で骨粗鬆症は間違いないですが美智子さまは、手術翌日にはリハビリを開始され朝夕2回のリハビリ時、上皇さまから励ましの言葉をかけられることもあったということですね。
つまり逆に言うと励ましてくれない時もあったわけですね。確かにすたすたと前を歩く上皇さまからは毎日励ましてくれているようには感じられなかったですね。
早くもご自身の足で力強く歩かれているのは奇跡的な再起ということで美智子さまが壮絶なリハビリを乗り越えられた結果なのでしょうということですね。
まぁ壮絶なリハビリなのか壮大な嘘なのかいろんな見方がありますけどね。もともと当面の美智子さまの目標は、毎年1月2日に皇居・宮殿で行われる新年一般参賀に、車椅子なしで参加されることだとされていたわけですね。
でも予想外の事態が起きてしまったわけですね。それが百合子さまの薨去ですね。車いすだと上皇さまの肘を掴んで歩けませんからね。
それに横に並んで一緒に歩くことも厳しいですからね。つまり手術から6日後に退院していましたが7日後に百合子さまが薨去されたらもう車イスを卒業だったわけですね。
流石にその場合は手術に関しても訂正されていたかもしれないですけどね。ただ美智子さまは壮大な目標を見据えられているのかもしれないということですね。
来年は日韓国交正常化60周年で芸能を中心に韓流文化は日本で受け入れられており、韓国旅行をする人も少なくないということですね。
でも美智子さまはこれまで一度も、韓国を訪問されたことはないということですね。上皇さまは在位中から、美智子さまとご一緒に、先の大戦の「慰霊の旅」に心を砕かれてきたわけですね。
国内では長崎、広島、沖縄。海外では戦後60年の05年にサイパン、戦後70年の15年にパラオ、その翌年にフィリピンを巡られてきたわけですね。
そして実は即位前の86年、上皇ご夫妻の韓国訪問が予定されたことがあったようです。でも直前に美智子さまが子宮筋腫(きんしゅ)の手術をするため入院を余儀なくされ、取りやめになったということですね。
まぁこの時は若かったから手術して入院しても1日で退院して翌日からは元気ピンピンだったのでしょうがなぜとりやめたんでしょうね。
ただ上皇さまのお気持ちに寄り添われていた美智子さまは、ご自身の手術のために訪韓が取りやめになったことを心苦しく思っている感じだったということですね。
上皇さまの学習院時代のご学友で、元共同通信記者の橋本明氏の生前の話として訪問が取りやめになってから両陛下は韓国訪問への思いを日増しに強くお持ちだったということですね。
幻の訪韓計画の3年後に昭和天皇が崩御し、平成の世が始まったわけですね。美智子さまが皇后となられてから訪韓への壁は一気に高くなったということですね。
まぁ韓国は統一教会が入り込んでいるからある意味仲がいい国とはいえるけども統一教会とバトルしている慰安婦団体とはずっと問題になり続けているわけですね。
だから韓国訪問は実現できていないということですね。ただ月日が経ち、上皇ご夫妻は公務の第一線から退かれた一方で、38年前に成し遂げられなかった約束の地へのお気持ちがおありなのではってことですね。
まぁ安倍首相から変わったことで日韓関係は大きく改善しているわけですね。韓国の大統領も文在寅さんの時は反日で支持率をあげていましたけどね。
でも今は以前に比べるとそこまで関係が悪くないわけですね。ただ韓国となると公的な性質を帯びるので公務に一線を引かれている上皇ご夫妻が、『公式訪問」するわけにはいかないということですね。
ただ、私的な訪問であれば可能性はあるということですね。そして鍵を握るのは、美智子さまの母で美智子さまは聖心女子学院の中高、そして聖心女子大学で学ばれたということですね。
カトリックの学校ですが世界42か国に200校以上の教育機関を構えていてその1つが韓国ソウルにある聖心女子高校ということですね。
美智子さまが卒業された聖心女子学院とは姉妹校で、毎年、生徒が互いに訪問して交流を図っているようです。その交流の延長上に、美智子さまが立たれたこともあるということですね。
だから公的な訪問はできなくても、聖心のOGとして私的に足を運ばれる道は、まだ閉ざされていないということですね。
やはり美智子さま主体で考えられるんですね。ちなみにチャットGPTに韓国にハゼがいるかとか日本の違いについて聞くと上皇さまも研究対象として私的に視察するとかいろいろ公的なことではなくて私的に行くならむしろ上皇さまの方がいいと思いますけどね。
日本は皇室で神道のイメージが強いからキリスト教の代表として私的に行くより上皇さまのハゼの研究を理由に行った方が日本国民からの反発も少ないと思いますけどね。
美智子さまのご用事だったとしても、上皇さまも一緒にということですが上皇さまの用事で美智子さまも一緒にの方がどちらかというといいと思いますけどね。
まぁ行くとしたら来年ということですね。
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