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【美智子さま買収疑惑も大失敗で二重権威と雅子さまへいじめ発覚で爆笑】天皇陛下の一般参賀で宮内庁が驚愕行動!上皇ご夫妻の美術館訪問再開予言

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美智子さま令和実績強奪失敗:時系列あってないよ

おとなの週末というところで美智子さまの上げ記事が書かれていましたね。桃の節句の3月3日、天皇家では節句にちなんだ節句料理が出されるようですね。

天皇陛下や秋篠宮さま、黒田清子さんがまだお小さかったころ、美智子さまはお子さま方が喜ばれる彩のよい手まり寿司を出されていたようです。

それで令和になって、小振りで美しい手まり寿司は、天皇陛下と雅子さまが行った海外の賓客へのおもてなしに登場したとまさに美智子さまから始まったように書かれていますね。

でも黒田清子さんが生まれたのは1969年です。昭和天皇が崩御(ほうぎょ)されたのは1989年1月7日です。だから黒田清子さんが20歳ぐらいですね。

もう小さい時ではないですね。つまり黒田清子さんが小さかったころというのは昭和です。昭和の時代は手まり寿司を桃の節句に出されていたんですかね。

まぁそもそも天皇家で出されていたわけではなくて江戸時代から京都のお寿司の京寿司として提供されてきたようですね。名前は変化しているようだから具体的にいつからかはわかりませんが、300年ほど前からです。

舞妓さんが口紅を崩さないように一口で食べられることを目的として京寿司の名前が付いたわけですね。それが京都以外でも食べられるようになったわけですね。

まぁだから手まり寿司も恐らく京都が発祥だと言われているわけですね。少なくとも皇室が発祥なら記録が残っていますからね。つまり桃の節句に皇室で手まり寿司が出されているとしたら昭和天皇が子供の頃から出されていた可能性もありますね。

それをあたかも美智子さまからのような書き方をしていますね。しかも桃の節句のことを記事にするなら愛子さまの事を話題にすればいいのに敢えて美智子さまと黒田清子さんの話題だからおとなの週末も美智子さまに買収されて書かされているのでしょうね。

全ての皇室情報を欲だけでは飽き足らずいろんな週刊誌の自分の持ち上げ記事を書かせるようになったのでしょうね。でもその嘘が篠原さんのチャンネルでも暴露されていましたね。

令和になってから午餐会で初めて和食が出され手まり寿司などが出されましたが平成の時代まではずっとフランス料理だったわけですね。

いつでも和食にするタイミングはありましたがずっとフランス料理だったわけですね。それが令和になって和食が出されて絶賛されているからよほど悔しかったのでしょうね。

嫉妬する相手が間違えているんですけどね。まぁ美智子さまが何号いて何号の美智子さまが嫉妬して本当の美智子さまはどう思っているのかとかはわからないですけどね。

ちなみにこれからそうなるのか今だけなのかわかりませんが、コロナということもあって感染症対策で大皿から取り分けるのではなくてそれぞれの更に盛りつけた状態で配膳する方法に変更されたようです。

これももしかしたらこれからずっと続くかもしれませんね。、ちなみに天皇陛下が皇太子時代、外国訪問などの際に、「旬のものや、その土地の伝統の食事をいただけるのはうれしいですね」と周囲に話されていたようです。

だからそういったこともあって雅子さまと話し合って皇室改革をされたんでしょうね。もともと初代総理大臣だった伊藤博文が、ヨーロッパ諸国との外交関係を深めようと考え、宮中の服と儀式両方の国際化を推し進めたわけですね。

それで皇室でいち早く洋装に取り組まれたのは明治天皇の皇后陛下である昭憲皇太后だったわけですね。つまり明治時代からヨーロッパの文化を取り入れていたわけだから皇位継承もヨーロッパの文化を取り入れればいいだけですからね。

明治時代から男系男子になったとかそういうことは言うくせに都合の悪いヨーロッパの文化は見なかったことにしますからね。こないだ1億3000万人のSHOWチャンネルという番組で明治神宮の話題を扱っていました。

年間1000万人が訪れるようになった明治神宮ですが最初は雑草とか砂地ばかりで何もない土地だったわけですね。それで明治天皇のお墓も京都だったわけですね。

でも都民が偲ぶ場所として明治神宮を作ろうと渋沢栄一さんやいろんな人が協力してたくさん植樹して出来たわけですね。つまり木も一本も生えていなかったので人口の森なわけですね。

京都に負けないように東京にも皇室らしさという感じでそういった森を作ったわけですがその森林を伐採しようとしているわけですね。神宮外苑の再開発で伐採しようとしているわけですね。

明治神宮の森は1915年に作り始められました。当時は工場が立ち並んで煙とで大木や老木は次々に枯れて雑草ぐらいしかなくて立派な気は何もなかったわけですね。

そこで渋沢栄一さんらがここに森を作ろうとするわけですが木を植えてもすぐに枯れるのでどうやってここに森を作るかということで本多静六(せいろく)という日本初の林学博士がここに森を作る計画を考えたわけですね。

まず常緑広葉樹林などの木をたくさん植えて全国から10万本植樹したわけですね。それで150年後を想定して計画された植樹や管理をされているわけですね。

明治神宮には境内の参道をホウキではくはきやさんと呼ばれる職人がいて落ち葉を集めて森に返す作業を行って人工的に森を管理しているわけですね。

ちなみに明治の森に貢献した渋沢栄一は実業家として知られていますが、実は別の意味でも凄い人で子供がたくさんいるんですよね。

1万円札にもなった人ですがですが妾(めかけ)といって結婚した男性が妻以外にも囲う女性のことで経済的援助を伴う愛人を作って子供をたくさん作ったわけですね。

それで合計すると50人を超える子供がいたと噂されているようです。まぁ今だとそういうのはアウトだし皇室ですら側室はアウトですからね。ちなみに最初の結婚は18歳で妻は14歳でした。

まぁ今だとアウトだらけの人ですね。偉人はいろいろぶっ飛んでいたってことですね。それにしても和食は2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されたわけだから平成の時から午餐会に和食を提供できたのに令和になってから和食の文化が取り入れられたわけですね。

美智子さまは何でも自分の成果にしようと必死ですね。しかも平成30年の桃の節句では、左右には雛人形と御所人形が飾られたとかありますがもうその頃には天皇陛下が即位目前でそれぞれで家庭を持っていますからね。

ご夕餐には、美智子さまは曲げ割っぱに色とりどりの料理と手まり寿司などの節句料理で、お子様方を楽しませたとありますが、誰がいたんでしょうね。

お孫さんはいたんですかね。眞子さんは秋篠宮ご夫妻と大喧嘩しているときだから恐らくその場にはいなかったと思いますが、勢ぞろいしていたとしても眞子さんの結婚問題で荒れているときだから和やかな雰囲気でないことだけは伝わってきますね。

なんかそういう記事を書かせたら印象がアップすると思っているのかもしれませんがこんな記事書けば書くほどダサくなるんですけどね。大人しくしていればいいんですけどね。

令和なんだから皇室記事は天皇家に関するものだけでいいんですけどね。普通に持ち上げてほしかったら天皇皇后両陛下が素晴らしいと美智子さまが褒めていましたとかそういう記事の方が印象は上がるんですけどね。

ちなみに週刊現代にも美智子さまが仕掛けたと思われる記事がありましたね。天皇誕生日の皇居「一般参賀」の現場で、「ちょっとした違和感」を抱いた理由という記事ですね。

天皇誕生日での一般参賀で会場混雑のため、万歳等の大声を発することはお控えくださいと案内があったようですね。天皇陛下は能登半島地震の被災者への思いが強く、一般参賀の実施にも慎重だったようですね。

それでそのお気持ちを受け取った宮内庁は、大声での万歳を控えるようアナウンスを繰り返していたようです。またいまだコロナにも敏感で、密を避けるため地面にテープを貼って、参賀者の立ち位置を指定する念の入れようだったようです。

これはちょっと気持ち悪いですね。人数制限なしの一般参賀でテープを張って立ち位置を指定って誰かからの指示があったように感じられますね。

2月23日、2.4℃の氷雨のなか、皇居で行われた天皇誕生日の一般参賀に約1万3000人が集まったとありますがこれは当日に参賀者数も宮内庁から発表されていますが15883人と発表されています。

それなのにあえて少なく見積もって約13000人がと週刊現代ではかかれているわけですね。もうネットで宮内庁のホームページを見ればわかるのにわざと少なく約1万3000人と発表しています。

約16000人ならわかります。3000人も少なく表示しています。こういった少しでも少なく見せかけようと印象操作を仕掛けてくるのは皇室ウォッチャーの美智子さましかいないですね。

しかもテープで立ち位置まで指定するって無茶苦茶ですよね。1万6000人の立ち位置なんて大柄な人とか小柄な人とかそれぞれなんだからお相撲さんが二人横に並んだら物凄い狭くなりますよね。

だからテープで位置指定なんて逆効果になるのでそんなことを天皇陛下が支持するわけがありません。これはなるべく参賀者数を減らしたくて手間を増やして管理が大変だから多くの参賀者を入れたくなかったんでしょうね。

こないだもやりましたが平成の最後の方の参賀者数に関しては宮内庁が持っている可能性が高いです。これまで平成の誕生日の一般参賀は平成最後は8万2850人でした。

その他は平均すると2万人弱でした。これまで平成の時代に行われた天皇陛下の誕生日に一般参賀が行われてきて上皇ご夫妻と天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻が参加して平均2満人ぐらいだったわけですね。

それが上皇ご夫妻が省かれて参賀者数が抜かれたくなかったわけですね。それで下にテープを張ったり上限は2万人と発表したわけですね。でも実際には平成30年の数字が本当なら2万7600人ぐらいが平均して1回に参賀したことになります。

どこかが多いとしたら1回に3万人ぐらいが参賀したことになりますね。他の年は3回合計して2万人ぐらいが平均だったわけですね。だから持っている可能性が高いですね。

天皇皇后両陛下に参賀者数で抜かれたくないから数字をもったのでしょうね。まぁ物凄いダサいですよね。上皇ご夫妻を一般参賀で見れるのは最後だから人が多かったと言いたいんでしょうね。

でも那須御用邸に静養に行った時は上皇ご夫妻は1ヶ月前から告知していきましたが20人ぐらいしか沿道で歓迎している人はいませんでした。

逆に天皇陛下は大勢の人が歓迎していましたよね。 一般参賀でもアナウンスをしましたが天皇陛下万歳という声がありました。これはいつものことですが、そこには愛子さま~という声もたくさん聞こえていました。

でも美智子さま~という声は一般参賀で聞いたことがないですよね。

美智子さま雅子さまいじめの決定的証拠:二重権威で上皇ご夫妻の遊び公務予言

女性セブンに美智子さまのことについて書いていましたね。4年ぶりに人数制限がない天皇誕生日一般参賀を終えられた天皇皇后両陛下が祝賀を受けられたのちに、上皇ご夫妻のまつ仙洞御所に向かわれたわけですね。

上皇ご夫妻への挨拶は2024年に入って初めてということで昨年は元旦に挨拶をされていたけども今年はなぜか行かなかったということですね。

側近の会見ではなぜ新年の挨拶に行かずに天皇誕生日に行かれるのかという説明はなかったようです。まぁそもそも両陛下が挨拶に行くのがおかしいですよね。

ただ雅子さまの体調は回復傾向で一般参賀から4日後の27日に、森美術館記念展を鑑賞されたわけですね。短いスパンでも出席されて体調も上向きなのだろうということですね。

そしてブルネイ皇太子ご夫妻委との午餐会にも出席ということですね。2月9日のケニア大統領夫妻との午餐会では愛子さまが午餐デビューで絶賛されましたからね。

雅子さまもルト大統領と会話を盛り上げながら時折愛子さまを気にかけていたようですね。ただ令和6年度は元旦に地震で新年一般参賀が中止になったわけですね。

被災地にも復旧・復興の邪魔をしてはいけないと訪問時期を見極めていたわけですね。それでようやく3月末に訪問する方向で調整が決まったということですね。

ちなみに上皇ご夫妻は最近は美術館に遊びに行ってませんがこれは少なくとも両陛下が被災地訪問を終えられるまで続くということですね。

確かに昨年は毎週月曜か火曜日に美術館や博物館に遊びに行ってましたからね。美智子さまと言えば皇室ウォッチャーとして全ての週刊誌や月刊誌の皇室情報を見ていることでお馴染みですが最近はSNSのチェック担当の職員もいるようですね。

SNSでバッシングされていることについて気にされているようですね。上皇后は皇后よりも目立たれようとされているという全く根拠のないものだということですね。

でも皇后の上の上皇后を選ばれたのは美智子さまですからね。そこでマウントを取っていますよね。歴史的に用いられてきたのは皇太后(こうたいごう)やその略称である「太后(たいこう)の称号を用いるべきという声があったわけですね。

でも退位した上皇が健在にもかかわらず、夫と死別した未亡人というイメージが強い皇太后の称号を使用することは避けるべきという見解が出たから新称号を創設する運びとなったということですが誰もそんなイメージは強くないですからね。

それに皇太后については夫と死別した場合にも歴史的に使われてきたのに勝手に死別したイメージが強いからと強引に皇后よりも上というイメージが強い上皇后にして実際に皇后より上だから誕生日に呼びつけていますからね。

皇后の上の存在で二重権威を示しているように見えるのは根拠がないものではなくしっかりした根拠がありますからね。

ただ美智子さまも両陛下の被災地訪問まで外出を控えられているということで美智子さまが最高権力者であることがわかりますね。

被災地に行ったら批判も納まるだろうって感じでそもそも上皇さまの意向ではなくて美智子さまの意向が最優先されていることがこの記事からも分かるので最高権力者ということですね。

まさに二重権威ですよね。今年の新年の挨拶に関しては愛子さまや他の皇族を招待したけども両陛下にだけは差し上げなかった理由について両陛下の元旦のスケジュールが忙しいからだということですね。

でもそれだったらお前らが来いよとなりますからね。美智子さまは週1で美術館や博物館に行っていて上皇さまは週2で皇居にハゼの研究で来ているわけですね。

だから元旦に皇居に来ることは体調面でも全く問題ないことが判明しているわけですね。雅子さまの体調を気遣われて招待しなかったということですが二重権威と思われることを美智子さまが気にしただけですからね。

でもそれが逆に二重権威の象徴でもありますからね。他の皇族は招待して両陛下は招待しないということで余計に感じが悪いですからね。

一応元旦は忙しいから招待していないという設定のようですね。そして天皇誕生日に両陛下が上皇ご夫妻を訪問したのは陛下が主役の日に上皇ご夫妻が招待をしたとも考えにくいので両陛下から提案したのだろうということですね。

まぁこういう美智子さまにだけ都合のいいように解釈する記事がミテコセブンと呼ばれるゆえんということですね。

美智子さまも雅子さまもお互いを尊重されようとするがゆえにすれ違いが起きている状況ともいえるということで雅子さまにも責任があるという不敬な記事ですね。

ただ美智子さまはご自分たちが平成流を貫かれたように雅子さまも令和流を貫いてほしいというお考えだから雅子さまは美智子さまに翻弄される必要はないということですが毎週のように美術館や博物館に行って内廷費を使い倒していますからね。

最後には上皇ご夫妻の再びのお出ましが待ち遠しいとなぜか美智子さまが再び内廷費を使い倒す日々を待ち遠しいということで終わっていましたね。

相変わらずミテコセブンの暴走は止まらないですね。そろそろお皿がパリンとされた時のことも考えておいた方がいいと思いますけどね。

安倍晋三の信者のように亡くなってからもなくなった人間の持ち上げ報道だけで廃刊するまで頑張る覚悟ですかね。

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