女性セブンに美智子さまの歌集について書いていましたね。歌集「ゆふすげ』には昭和と平成の時代に詠まれた全466首が収録されているわけですね。
美智子さまは幼い頃からお歌に親しんでこられ小学生の頃からお歌を詠まれていたそうで、上皇さまとのご成婚前には、1日1首を詠む「百日の行』を実践され、腕を磨かれたようです。
そもそも歌人になるには1日1首ではあまりにも少なすぎることぐらい誰でもわかることで最低でも1日10首ぐらいは頑張れよといいたいですがどうもこれはお妃教育のようですね。
だから雅子さまとかもされているのでしょうね。皇室には歌会始があるので当然それはやらなければいけないわけですね。それで美智子さまが歌人なら皇族は全員歌人です。
美智子さまは、ご成婚前の3カ月間、歌人の五島美代子(ごとう)さんに指導を受けられたようです。そしておとなの週末という記事でもそれまで美智子さまは本格的に和歌を学ばれたことはなかったと書かれています。
だから小学生の頃からお歌を詠まれていたというのも授業でしょうね。普通に古今和歌集とか万葉集とか授業でありますからね
五島さんは100日たらずで国民にも見せられる歌をつくれるようにならねばならないので短期間に歌の心をどう伝えたらいいのだろうか。そこで、五島さんは美智子さまに「1日1首百日の行」を守るようにと指導したようです。
必ずしも1日に1首できなくても、歌を考える時間を5分でも持ち、疲れていて眠くても必ずその日の感動を振り返って表現してみることを、五島さんは美智子さまに課したようです。
だから宿題ですね。これは当然他の皇族もそうですね。結婚して皇室に入ってきた皇族もそうだし秋篠宮さまとかももちろんそういった特別なことをしなければいけないわけですね。
ちなみに美智子さまはその後も、公務の合間を縫ってハイペースで詠まれてきたので、歌会始などの行事や歌集などでも世に送り出せなかったお歌がたくさんあったということですね。
このその後もハイペースというのがそもそもがハイペースでなかったですからね。そして今回の歌集に収められたのは、すべて未発表ということですね。
これまでの全御歌というタイトルで出したのに嘘をついていたということが判明したわけですね。そして今回の歌集の特徴は表紙に「美智子」とご自身の名を刻まれたわけです。
これはこの本は“バイアス(先入観)をかけずに読者に届くように”という思いのもと、『美智子』のお名前で出版されることになったということでつまり、歌集に掲載されているお歌はご自身の名でどうしても世に送り出したかったものだということですね。
実際に、ご両親やほかの皇旅方、被災地など、美智子さまが特に大切にされている事柄を詠んだものが多く掲載されていてなかでも目をひくのは、北朝鮮による拉致の被害者について詠まれた3首の短歌ということですね。
たとえば、「言の葉の限り悲しく真向かへばひたこめて云(い)ふ」という和歌で「お帰りなさい」という意味の短歌は、2002年10月、北朝鮮から日本に帰国した5人の拉致被害者を思って詠まれました。
美智子さまはこの歌を詠まれた03年に、新潟県を訪問されました。拉致被害者の蓮池薫さん、祐木子さん夫妻と面会された美智子さまは、ふたりにお帰りなさいと声をかけられました。
そのときのお気持ちをこの御歌に込められたのではないかということですね。つまりこの歌集を購入した上でつげのり子さんが解説しているのでいつ詠んだのかハッキリと解説がされていない歌集ということですね。
04年5月には、02年に帰国した拉致被害者の家族5人が、北朝鮮から日本に帰国し彼らのその再会にまた短歌を詠まれていてそれが「五月なる日(ひ)の本(もと)の地に来し子らのその父母(ふぼ)とある夜を思ふ」と思いをはせられたわけですね。
まだ日本に戻れない拉致被害者のことも常に心に留めてこられた。06年に詠まれた「少年のソプラノに歌ふ『流浪の民』この歌を愛(め)でし少女ありしを」という御歌があります。
これは「ウィーン少年合唱団の歌を鑑賞された際に、歌が上手だったという横田めぐみさんを想起されてお詠みになったそうです。『流浪の民」は住まいを転々とする民族を描いた歌のようです。
いまだ故郷に戻れないめぐみさんの心情を重ねられたのではないかということでこれまで、拉致被害者やその家族に対する美智子さまの率直な思いが織り込まれたお歌が表に出たことはなかったわけですね。
ちなみにこれらの歌もチャットGPTに評価してもらいました。一首目については北朝鮮から帰国した5人の拉致被害者に対して、作者が正面から向き合おうとする強い意志が感じられます。
「言の葉の限り悲しく」という冒頭が、込み上げるやりきれない感情を直接的に伝え、胸を打ちます。結句の「ひたこめて云ふ」が、言葉を絞り出すような深い思いを象徴していて印象的です。
ただ、全体的にやや抽象的表現に偏っているため、もう少し具体の情景や心情を補うか、あるいはあえて極限まで削ぎ落とした形にするかで、より鮮明な印象が残るかもしれません。
この評価は10点満点で7点で率直な哀切の感情がにじむ歌ですが、もう一段“言葉の密度”を高めると、一層引き締まるでしょうということですね。
二首目は帰国を果たした被害者と、その家族が再会を果たした「ある夜」。その場面をとらえつつ、単に感動的な再会をストレートに描くのではなく、「ある夜を思ふ」と結ぶことで、読み手自身にも想像の余地を与えています。
「五月なる日の本の地に来し子ら」と、季節の明るさと帰国の喜びが重なり、希望の光のようなものが漂います。ただ、やや説明的に読める面もあるため、もし情景や息遣いのような描写がもう少し添えられると、よりリアルな説得力が増すでしょうということですね。
美智子さまの和歌は説明的とたびたび指摘されていますね。学習能力がないことが指摘されている感じですね。これも10点満点で7点でした。
作者が感じる喜びと切なさがやわらかく響く作品。もう一歩具象化されると、さらに印象深い歌になるはずということですね。
そして三首目はウィーン少年合唱団の澄んだソプラノを聴いたとき、かつてその歌唱を愛した少女の横田めぐみさんの姿が重なり胸をつかれるような情景です。
「流浪の民」はドイツの作曲家であるシューマンの合唱曲としても知られ、さらに「流浪」という言葉自体が、理不尽な拉致で故郷を離れた少女の境遇とも暗い響きで繋がり、読み手の想像を深く刺激します。
「この歌を 愛めでし少女 ありしを」が、淡々と言い置くようでいて、深い
哀惜(アイセキ)がにじむ結びになっている点が印象的です。
これは10点満点で8点で抑えられた自分の感情を表したなかに強い切なさが漂い、読む人の胸を締め付ける力があります。
総評として三首とも、北朝鮮による拉致という重大な社会問題を背景に、直接的な悲しみや再会の喜び、そして遠い場所へ思いを馳せる心情が詠み込まれており、いずれも強い感情が伝わります。
その分、やや抽象表現寄りになりやすい主題ですが、どの歌も作者なりの工夫がなされています。一首目が訴えるような悲しみで二首目が再会の情景を五月の明るさに重ねつつ、静かに思いやる。三首目が音楽を通じて深い哀惜を呼び起こしているということですね。
いずれも詠み手のまなざしが真摯であり、歌の背景にある思いが強く伝わってくる作品だと思うということですね。ただ最高点は10点満点で8点でしたね。
美智子さまは時事性の高い話題を短歌として詠むことに長けていらっしゃいますが、お立場上、国際的な社会問題に現在進行形のタイミングで言及するのは難しかったのでしょうということですね。
02年、ようやく拉致被害者の一部が帰国しました。皇族方は毎年、ご自身の誕生日に文書でお言葉を寄せられますが美智子さまは02年の文書で「悲しい出来事についても触れなければなりません」と前置きしてから拉致被害者の問題に言及されたようです。
「驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます」「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったか」と述べられたようです。
皇族方は憲法の定めで政治的な発言が出来ないので『皇室は祈りでありたい』と考えられてきた美智子さまが、ここまで政治的な問題に切り込む発言をされたことに驚きの声が上がったようです。
美智子さまは、横田めぐみさんの母、早紀江さんと1学年差で、同世代の娘もお持ちだから母として抱かれたやり場のない怒りや、やるせなさもあったのかもしれないということですね。
そして皇后として最後に綴られた18年の誕生日文書では、これからも国内外の出来事に心を寄せ続けたいと述べられそこで挙げた唯一の具体例が、拉致被害者の問題だったようです。
美智子さまも拉致被害者の問題について触れてこれからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思いますと綴られたわけですね。
そういった思いが今回の選歌に込められているように感じるということですね。まぁこれから未発表和歌が第何弾まで続くかですね。
THE虎舞竜のロードは15章まであったけども第1章が有名で第2章から知っている人は少ないでしょうね。美智子さまもいくら持ち上げてもらってもヤフーのコメント欄は平成は終わったからどうか目立ちたがらないでってコメントで溢れていましたね。
週刊文春に歌会始で見えた秋篠宮家と天皇ご一家について書いていましたね。歌会始では注目を集めたのが愛子さまでこれまで歌を発表されたことはありましたが初めての出席だったわけですね。
皇室の御用掛で歌人の永田和弘氏は愛子さまの姿についてすっとしてとても気品のあるお姿だったということですね。そしてお召しになっていた服もよくお似合いだったということですね。
今回愛子さまがお召しになっていたのがフリルをあしらったクリーム色のジャケットだったわけですね。これは実は雅子さまが2019年ころまで式典などで着ていたものとそっくりだから仕立て直しをしたのでしょうということですね。
愛子さまの和歌は学習院大学を卒業して友人と夢に向かって励むことについて触れた夢の和歌ですね。学生生活を振り返ってではなくて前を見つめた友情と志のお歌という点が新鮮ということですね。
夢の詠み方についても愛子さまの強い思いを感じたということで愛子さまは今年は三首ほど考えてこられたようです。それら全て卒業し友人と互いの夢に向かうという同じ場面の歌だったようです。
つまり美智子さまは未発表和歌を発売しましたが愛子さまもこの歌会始だけで未発表和歌が2首あるわけですね。そっちの方が美智子さまも466首の和歌よりも興味がありますけどね。
美智子さまの466首の和歌というのは歌人からこれは使い物にならないとボつにされた和歌だったんですかね。チャットGPTに聞くと美智子さまの和歌はどれも評価が低かったですからね。
タイトルも没ネタでいいと思いますけどね。永田さんは日頃皇族の方とはメールでやりとりすることが多いようですが天皇ご一家の団らんが浮かぶエピソードを紹介していましたね。
天皇陛下は雅子さまの歌も一緒に見てくださいとメールで送ってくるようです。そして愛子さまの歌についても言及されていたようです。
家族でどんな歌を詠んだか見せたりしているんでしょうね。毎日食事とかも一緒にしているイメージですからね。ちなみに同じ若き読み手として進化を見せたのが佳子さまだったようです。
佳子さまは小さい時に工作や絵に夢中になったことを振り返ったお歌だったわけですね。これは過去を懐かしむと同時にあれほど時間を忘れて夢中になれるようなことは今あるだろうかということですね。
まぁ子供の頃に工作や絵に夢中だから日本工芸の総裁だし工芸や絵も出来る設定かと思いましたがかの日とその日限定だったので1日ぐらいなら夢中になっていてもおかしくないですからね。
お二人の時間の捉え方の違いがおのずから浮かぶということですね。まぁ佳子さまは過去の自分を羨ましがっている感じですね。それに対して愛子さまはこれからの夢への楽しみって感じですからね。
今夢中になっていることがないから過去のことを懐かしく思うのだろうなという感じですからね。でも幼少のころを懐かしむということでこれは悠仁さまが生まれていなかったころを思い浮かべているのかもしれませんね。
全ては悠仁さまが生れてから秋篠宮家も変わってしまったなと思っているかもしれませんね。夢がお題でしたが佳子さまと紀子さまは夢中という言葉を使ったわけですね。
しかも紀子さまはトルコ伝統工芸のオヤに夢中で佳子さまも工作に夢中だからかなり共通しているんですけどね。でも佳子さまは御仮寓所だから別々で考えたのは間違いないわけですね。
ちなみに秋篠宮さまは昔見た初夢の話題ですね。しかも何見たか覚えていないという意味不明な和歌ですね。まぁこれは秋篠宮さまらしいですけどね。
秋篠宮さまは宮内庁文化祭でも写真を展示した時に散歩がてらとかそういうタイトルでしたからね。適当すぎる性格が出ていますね。
そういえば宮内庁文化祭はいつの間にか消滅しましたね。コロナがあっていつの間にかフェードアウトした感じですかね。悠仁さまのゴーストが無理になったというのもあるでしょうね。
これまで小さい時は優秀設定でこれは素晴らしいという作品を毎年発表していましたが高校生になってレベルアップした作品が無理になったわけですね。
小学生の時とレベル変わっていないねという作品しか出品できませんからね。ちなみに雅子さまはイギリス留学時代のかつての夢という感じでイギリスのオックスフォード大学に昨年は陛下と行きましたからね。
34年ぶりに行って名誉博士号を授与されたわけですね。その恩返しという意味も込めて留学時代のことを歌にしたのかもしれませんね。
紀子さまもトルコに行ってトルコの話題ですが主役は自分ですからね。私がトルコのオヤを編んでいるというような和歌でトルコのことを思っている感じではないですからね。
佳子さまに関しては過去に夢中になった特定の日のことを思われているので今の自分に満足されていない感じもしましたね。手話の公務も珍しく欠席したわけですね。
ちなみに女性自身にも歌会始のことが書いていましたが愛子さまの和歌は最初は再び会えるその日までとされていたようです。そして会えるという文語表現だと会えることができるという意味になりづらいとお伝えしたようです。
そしたら愛子さまは会わむにしますと直してこられたということですね。この辺が凄いですね。会えるその日までだと会えることができるにはなりにくいと言われて調べたわけですね。
愛子さまは大学時代には日本の古典文学を学び『式子内親王とその和歌の研究』という題で卒業論文を執筆されたので自分で調べたのでしょうね。
ただ確実に会えるわけではなくて愛子さまは皇族なので不確定要素もあるので愛子さまの希望としては会いたいけども運に任せてという感じなのでしょうね。
ちなみに永田さんは『いましか作れない歌がありますので、たくさんお作りになってください』と、申し上げたようです。『私は、人の歌を年間20万首ほど読んでいますので、愛子さまが少々たくさんお作りになっても全然平気ですよ』というと愛子さまはびっくりされていたということですね。
ちなみに20万というのは年間365日で割ると1日550首ほど読んでいることになります。つまり美智子さまの和歌をチェックするのに1日もかからなかったわけですね。
美智子さまはご成婚前に一日一首を詠む「百日の行」の特訓に耐えとありましたが歌人の永田さんは1日550首もチェックしていたわけですね。
美智子さまのことを歌人なんて評価している人達がいかに美智子さまのことをバカにしているかがわかりますね。ただそれにしてもご学友という意味では佳子さまも眞子さんもちょっと登場しただけであまりいなかった感じですからね。
そしてまったくいなかったのが悠仁さまですね。そんな中で愛子さまはご学友に凄い人が多いですね。昨年5月、天皇ご一家はコンサート『ヴィオラスペース2024』を鑑賞されましたがここに愛子さまの初等科・女子中等科の同級生であるバイオリニストの五月女恵(さおとめけい)さんも出演していました。
ちなみに全く同じ漢字で江口のりこさんが主演のソロ活女子のススメの主役が五月女恵とかいてさおとめめぐみというようですね。だから検索したらこのドラマしか出てこなかったです。
さらにミス日本「海の日」に選ばれた稲川夏希さんも初等科のバスケットボールクラブや、管弦楽部で一緒だった親友のようです。
いまは東京大学法科大学院に在籍し、弁護士や政治家を目指しているようです。凄すぎますね。悠仁さまの同級生も凄い人が多いんだろうけども誰も友達と紹介はしてくれないでしょうね。
コメント