愛子さまはパパっ子とママっ子:式子内親王と強いシンパシー
凄いぞ愛子さま完全にパレード:博物館でも一発で的中!子ども達の反応に思わず笑顔
愛子さまが神武天皇陵を参拝されていましたね。沿道の人が凄いことになっていましたね。物凄い人気でしたね。
愛子さまを見たくてたくさんの人が沿道に集まっていたんですね。すばらしいですね。もう完全にパレードですね。
参拝用のロングドレスも素敵でしたね。
ちなみに愛子さまは午前中は明和町の斎宮歴史博物館を訪問して館内を1時間ほど見学されたようですね。伊勢物語の絵巻の説明を受けた際には「おもしろいですね」と笑顔を見せながら担当者にご質問する場面もあったようです。
愛子さまはこういう報道の時に映像とセットで報道されるから素晴らしいですね。悠仁さまはこういう時によくても写真が1枚ぐらい提供されるぐらいですからね。
ちなみに愛子さまは斎宮歴史博物館に続いて同じく明和町内にある歴史体験館も訪問されたようです。本当に歴史に関することに興味があるんですね。
ここはあいつきのみや歴史博物館で貝合わせと呼ばれる遊びを体験されたようですね。神経衰弱の様なもので愛子さまは、説明者に勧められ、裏返しに並べられた貝の中からふたつを実際に手に取り、ピタリと合うと笑顔を見せられたわけですね。
映像でも貝を合わせて周りが拍手されていたから何の拍手だろうと思っていましたがコレとコレが合うのではと直感で2つ持たれたのでしょうね。
それで体験している地元の小学生に「コツは何かありますか?」などと声をかけられて6年生の児童に「卒業おめでとうございます」と祝福されたようです。
斎宮歴史博物館でも地元の小学生が旗を振られていましたね。しかも愛子さまは歩み寄られて「近くの小学校?小学校は楽しい?」などと声をかけたようです。
それで立ち去る際、子ども達の「話せて良かったです」という大きな声に、愛子さまが思わず笑われる場面もあったようです。
もう悠仁さまだったら絶対にこんなシーンを見れないですからね。それにしても愛子さま一人で訪れてもここまでの対応ができるって素晴らしいですね。
愛子さまが到着されて入り口の様子も映像で紹介されていましたが物凄い人が外で待機していましたからね。やはり現地では朝一番でここに来ることが分かっていたんですね。
それにしても愛子さまは卒業論文でも最後の方はギリギリまで粘ったようですが一つ調べだすとどんどん調べることが出てきて大変だったことも語っていましたよね。
だから映像とかも見たりして興味のあることはいろいろ質問されたのかもしれませんね。職員も詳しい人からの質問は嬉しいでしょうね。
むしろ知らない質問が来たらどうしようとかちょっとビビっていたかもしれませんね。悠仁さまの時は一部でしかたくさんの人が映る様子が無かったですが愛子さまは平日なのに物凄い数の人でしたからね。
まだ学生は夏休みだから分かりますがヶこうな大人の人がたくさんいたからもう多くの国民から支持されていることがわかりますね。
愛子さまはパパっ子とママっ子:式子内親王と強いシンパシー
ちなみに女性自身ではパパっ子で才能豊かな愛子さまということで記事になっていましたね。伊勢神宮を参拝されて物凄い歓迎ムードで雨の中舞っていたら愛子さまが来る時だけ晴れていたわけですね。
しかも愛子さまが玉串をささげ拝礼する時も光が差し込んでいたわけですね。そして愛子さまは斎宮歴史博物館(さいくう)も見学されるわけですね。
眞子さんや佳子さまも伊勢に来ましたがこの博物館にはお立ち寄りになっていないということですね。ここは愛子さまの希望があっての御訪問だということですね。
やはり日本語日本文学を専攻されているからそういったのに興味があるんでしょうね。逆に眞子さんこそ博物館学で美術関係の仕事につきたいなら見ておかなければいけなかったと思うんですけどね。
実際にはそういうのに興味がなかったんですかね。天皇の代わりに伊勢神宮の神々に仕えるために選ばれた未婚の皇女が斎王で斎王たちの住居が斎宮だということですね。
そして斎王と同じように天皇の代わりに京都の下賀茂神社と上賀茂神社の両神社に奉仕した皇女を斎院というようですね。そして愛子さまが卒業論文に選ばれたのが後白河天皇の皇女・式子(しょくし)内親王も斎院を務めたようです。
そして愛子さまの論文のタイトルは「式子内親王とその和歌の研究」ということですね。愛子さまの卒業論文執筆の指導にあたった中野教授も式子内親王が活躍した中世では和歌は優雅さとはほど遠い先鋭的芸術で自分以外の人物になり切って与えられたテーマにそって歌を詠むよんでいたようですね。
今田と女性が男性の恋心を表現するようなことですね。式子内親王の凄いところは内親王という立場でありながら和歌の世界では厳しい指導を受けながら修練を重ねて多くの優れた歌を編み出したわけですね。
愛子さまも指導教授の先生からのアドバイスと心強い励ましのお言葉、研究室の皆様の温かいサポートを頂き、無事に提出できた時には、ほっとした気持ちと同時に大きな達成感がありましたと語っていましたね。
まぁ最後の方はかなり粘り強く頑張ったとも書かれていましたね。締め切りギリギリまで執筆を頑張ったと教授も語られていましたが、ハッキリ言って卒論の合格点を貰うことは簡単だけども自分が納得いくまで書きたいから最後の最後まで粘られたんでしょうね。
ゴーストに執筆して貰ている人には分からないでしょうね。ただこの記事で愛子さまの論文を指導した中野教授は愛子さまのことを宮さまと表現してコメントを出しているんですよね。
宮さまとは皇族を敬愛してよぶ言葉ですが、この辺もよくわからないですね。よく敬宮さまと呼ぶべきだという人がいますが小林よしのりさんは今さら国民に敬宮さまと呼べと言ってもそれこそ多くの国民から理解されないと語っています。
まぁこの愛子さまというのが両陛下が親しんでもらいたいからということになっていますが、メディアが報道する時は敬宮愛子さまと報道すべきでしたね。
そして国民が呼ぶときは両陛下が望んでいたかどうかがわかりませんがもう愛子さまで慣れてしまっているから今さら敬宮さまといえというのは多くの国民に理解されないかもしれませんね。
まぁいつもは愛子さまと呼んでこういう時だけ敬宮愛子さまと呼べば皇室ファンからは支持をされると思いますが、なんかこういうイベントの時だけそういう呼び方するのもそれこそ皇室利用って感じる人もいるでしょうからね。
まぁ敬宮愛子さまと呼んだら今度は敬宮愛子内親王殿下と呼べという人も出てくるだろうしもう愛子さまを立太子へという思いが同じであれば呼び方は敬宮愛子さまでも愛子さまでもいいと思いますけどね。
両陛下としたら確かに学校で敬宮さまと呼ばれるよりは愛子さまと呼ばれた方が親しまれやすいと感じた可能性もあるのでこれは今となっては分からないですね。
ちなみに天皇の代わりに伊勢神宮の神々に仕えるために選ばれた未婚の皇女が斎王ということですが愛子さまには一般男性と結婚されてから天皇陛下になってほしいですね。
男系男子のお子さんと結婚しろとか奴隷みたいな指示は出したくないですね。好きな人と結婚してくれることが多くの国民から支持されると思います。まぁそれがたまたま男系男子のお子さんならというのはあるのでしょうが、それもなんか廻りの変な力が働いたのではとか考えちゃいそうですからね。
ただ現在は国会でまさに愛子さまや女性皇族にとっても重大な転換点で皇室典範が改正されようとしているわけですね。あまり関心がなかった公明党ですら6月までには最低でも決着を付けなければと語っていましたからね。
これは3月18日、自民党が『安定的な皇位継承の確保に関する懇談会』で、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する皇室典範改正案について議論しましたが、出席者から反対意見は出なかったということですね。
そして早ければ6月に改正案が国会で可決される可能性が高くなっているわけですね。まぁ解散総選挙がなければ6月までに決着がつくかもしれませんがどうなりますかね。
まぁ今回の案が通れば少なくとも愛子さまは結婚しても皇室に皇女としては残られるだろうということですね。ただ雅子さまはかつて親しい知人に、「愛子には愛子の持って生まれた運命があります」と、漏らされていたようですね。
天皇陛下と雅子さまの願いはただ一つで、愛子さまが幸せな人生を送られることだということですね。そのためには、皇室に残るとか残らないとかではなくて、ご自身で人生を切り開く術を身に付けていってほしいと願われているわけですね。
だから日本赤十字社ご入社を後押しされたのも、その一環だろうということですね。そして愛子さまは成年皇族の会見でもこれからも両親の力になりたいと皇室の留まる意向に感じるということですね。
式子内親王も、皇室に生涯を捧げた皇女だったということで小田部教授もその生涯を解説していますが愛子さまも、多大な時間と情熱を卒論執筆のために注がれたと伺っているので、おそらく同じ内親王として、強いシンパシーを式子内親王に抱かれたのではないかということですね。
当時は皇女と非皇族の結婚はまれで、生涯独身だった皇女も少なくなかったようです。だから式子内親王も結婚はしていなかったようです。
式子内親王が生きた平安時代から鎌倉時代にかけても皇室そのものが揺れ動いた時代のようです。だから内親王自身も、天変地異や政治的陰謀に巻き込まれたようです。
そういった不遇ともいえる環境のなかで、自分の運命と向き合い、感受性豊かな自律性のある女性として、才能を大きく開花させ、生涯をまっとうした皇女だということですね。
そして式子内親王が斎院を務めている間、父の後白河天皇は、頻繁に両神社を訪れたようです。
「後白河天皇が崩御された後に、式子内親王は父の過去をしのぶ歌を多数詠んでいるようです。愛子さまも小さいころから“パパっ子”で、いまも陛下と仲むつまじい様子を見せているということですね。
そういった関係性も、愛子さまと式子内親王の共通点と言えるかもしれないということですね。まぁ母がいじめられている環境を見て育ったからそういった影響も受けて強くなったとも言えるでしょうね。
実は雅子さまもけっこう大変厳しい環境で育っているんですよね。雅子さまが1歳8ヶ月の頃に父が駐モスクワ大使館の一等書記官として赴任することになったようです。
それで当時のソ連はアメリカと対立していて粉ミルクとかそういったのを入手するのも大変だったわけですね。しかも食べ物も安全性を疑う声もあって子育て環境は悪かったわけですね。
だから連れていくか迷ったけども家族はどんな状況下でも連れていきたいということで連れて行ってそれからも父の転勤とかでついていってかなり厳しい環境だったわけですね。
まぁそういった雅子さまの影響も受けているだろうしスペイン語なんかは雅子さまにけっこう教えてもらっているでしょうね。まぁ斎宮歴史博物館でもいろいろ、神に仕えることで皇室に尽くした祖先たちの生涯を振り返りながら、愛子さまはご自身の将来にも思いを馳せられるだろうということで終わっていましたね。
それにしても政治家が次の天皇を誰にするかって感じで本来だったら天皇皇后両陛下や皇族方が中心となって考えるべきなんですけどね。早く皇室典範改正してほしいですね。
それにしてもこれからの愛子さまの活躍が楽しみですね。
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