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悠仁さまと愛子さま成年式の比較に八幡和郎に未来のブーメラン!秋篠宮家擁護が全て逆効果で矛盾続出!

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八幡和郎の勘違い:悠仁さま擁護に必死

プレジデントオンラインで久々に八幡和郎が記事を書いていましたね。悠仁さまの進学先について東大以外に、筑波大と海外留学という別の選択肢が出てきたということですね。

悠仁さまは東京大学を推薦入試されると言われていましたが11月26日に悠仁さまが筑波大学の推薦入試のために茨城県つくば市にあるキャンパスを訪れられたと一部週刊誌が報道したとありますがいきなり間違えていますね。

11月26日ではないですね。11月28日と29日に行かれたわけですね。受験日の前々日の11月26日に、斂葬の儀に参列されていた悠仁さまとあったのでそれと勘違いしたんですかね。

秋篠宮ご夫妻に関してはトルコ訪問を前にして11月25日に記者会見をしてそこで悠仁さまの海外留学について触れたわけですね。

まぁ筑波大を推薦で受験しているとしたら一連の秋篠宮家バッシングが影響して東大進学は断念されたのかもということですね。

ただ天皇陛下や秋篠宮さまは大学を卒業されてから留学されたわけですね。でも今はもっと早い時期に海外に出る人が増えていて、交換留学制度で休学することなく留学する可能性も出てきたということですね。

悠仁さまの進学に関しては幼稚園の段階から学習院でなくお茶の水女子大学付属幼稚園を選ばれたわけですね。だからそのときから波乱含みだったということですね。

ただ今思えば悠仁さまが誕生した時から波乱含みだったのでしょうね。妊娠の早い段階から男と報じられていたりそもそも宮内庁病院でないことが異例だったわけですね。

秋篠宮さまが自由な方針で愛育病院を選ばれるのは分かりますがそれなら眞子さんや佳子さまからそれが出来たわけですね。でもなぜ悠仁さまからそうされたのかということですね。

宮内庁病院だったらまずい理由があったのかということですね。絶対に男じゃないとまずいからということが愛育病院と関係しているのではないかと思わせてしまいますよね。

だから幼稚園よりも前に生まれた時から波乱含みだったわけですね。それで幼稚園から学習院ではなくてお茶の水を選んだわけですね。

しかも強引にお茶の水に行けるように特別入園制度を作って行ったわけですね。だから学習院が嫌いとかただそれだけが理由ではない可能性が高いですよね。

そして秋篠宮さまは大学進学時に他大学を希望したけども渋々学習院へ進まれたということですね。そして紀子さまは父親が学習院大学の教職員だからこれも学力がどうだったのか微妙ですね。

ちなみに教職員の娘さんだと学費も割引料金のようですね。ちなみに学習院では、家柄を基準に学友との関係が形成される傾向があるからそれが嫌で慶應とかに行く人もいるようですね。

まぁ慶應とかもありそうですけどね。幼稚園から慶應とか小学校からとかそういうのでなにかありそうですね。それと学習院は皇族に対する配慮が行き届いているから、規則も皇族の都合に合わせて変えると噂されることを嫌がる人もいるようですね。

まぁ秋篠宮さまの学年は大学に進学する時に秋篠宮さまの学歴に合わせて足切り点を下げたという記事も確かありましたね。

ちなみに陛下のように学習院に良い思い出をお持ちで、母校愛の強い方もおられるが、眞子さんや佳子さまが他大学へ移られ、愛子さまもコロナ禍の影響でごくわずかしか通学されなかったことを考えると、秋篠宮さまご夫妻がお茶の水や筑波大学附属を好まれたのは分かるって感じでまた嫌味を書いていますね。

わずかしか登校されていないというけれども愛子さまは小学校の時からずっと毎日のように週刊誌ウォッチャーが投稿姿を撮影していましたからね。

でも悠仁さまは人気がなさすぎるのか障害の影響なのか分からないけども女性誌2社の目と鼻の先にあり毎日5分で登校姿を撮影できる距離にいるのに年に1度ぐらいしか撮影されませんからね。

しかもアリバイ作りのような撮影タイムの写真ですからね。ちゃんとバドミントンの試合に行きましたよって感じでユニフォーム姿は見たことないけどもラケットを持って登校する姿だけ撮影ですからね。

これを悠仁さま目線で考えてみると凄いみじめでしょうね。本当は試合なんて行ってないのに行ってる設定にするために撮影会でバドミントンのラケットをもって坂を上っている心境ってどう感じているんでしょうね。

せめて学友にも手伝ってもらってユニフォーム姿の写真も撮ってほしいですね。それもお願いできない関係なんでしょうね。中学校の卓球に関しては卒業してからの発表で写真も0でしたからね。

ちなみに学習院の卒業生にとっては、悠仁さまが学習院に通われないということは残念で、秋篠宮家への強い反発を招いたと八幡は悠仁さまが学習院に行かなかったから炎上していると思っているようですね。

やはり間抜けですね。むしろ学習院に行かずに本当に優秀であれば秋篠宮ご夫妻の教育方針は大成功だったんだって感じで称賛されていたと思いますけどね。

ただ偏差値42のお茶の水から提携校進学制度で筑波大附属高校へ進学したわけですね。しかも悠仁さまだけでなくてその年は5人もお茶の水から筑附に進学したわけですね。

まぁ少なくとも4人は提携校進学制度でしょうね。この進学について未だに提携校進学制度の明確な説明がないですからね。

この特権を使うために筑波大学にお金が使われているんじゃないかとかいろいろ言われているから特権でいける学習院でいけばと声が上がっているわけですね。

普通に実力で筑附に進学していたら誰も文句を言ってないですからね。そして今度は東大かということで反対署名運動まで起きたわけですね。

ただ八幡は皇族の生活や人生は特権だらけでスポーツ観戦やテーマパークでの遊びでも、庶民と同じように列に並んだり、抽選に参加されるわけでないしパトカー先導で車で移動したりもするから皇室特権で東大でもいいという考えということですね。

まぁ八幡は自分と同じ実績になるから東大にだけは反対していましたけどね。ただ今はもう東大にしても筑波大にしても結果が出ているから東大には何千人も定員があるから問題ないということですね。

学業に無理なくついて行けるのであれば東大進学は別に構わないと思っていたということですね。悠仁さまは、推薦入試の基準にだいたい合致していたということですね。

悠仁さまが東大に行けば象徴天皇制を揺るがすとかいう批判もあるが英国で王族がケンブリッジ大学に入って未来の指導者層になる学生たちと学ぶことを誰も反対しないだろうし、東大進学にだけ過剰に反発する日本の状況は異常だということですね。

だからその為に学習院があるんですけどね。学習院も十分に学歴は高いですからね。それにどうしても東京大学でないといけない理由があって学歴もあれば誰も文句を言わないんですけどね。

でも悠仁さまの口からは優秀なはずなのにカブトムシの研究発表を聞いて学生に僕はトンボが好きですしか言えないレベルですからね。

そりゃ学力ないんじゃないのと疑われて当然ですよね。だから学力があるところを国民に見せてあげればいいだけなのに記事で紹介される悠仁さまの言動からは小学生低学年レベルの受け答えにしか聞こえませんからね。

そして東大が濃厚でしたが筑波大の可能性も浮上してきてこの筑波大に関してもいい大学で、全国から集まった学生との交流も意味があるが、東京からは遠いし、茨城県警が要人警護に慣れているとは思えないが大丈夫だろうかということですね。

まぁその辺はこれまでと同様に通学している設定にするだろうから大丈夫でしょうけどね。もうメディアは通学していないことは知っているでしょうからね。

ちなみに筑波大学は海外の大学との交換留学制度も選択肢が狭そうだからやはり私としては早稲田大学や慶應大学のほうが選択肢が豊富でいいのではないかということですね。

悠仁さまが将来の天皇にふさわしい留学ができるように、うまく工夫してほしいということですね。それと悠仁さまは、9月6日に18歳で成年を迎えられ、昭和天皇の時代の今上陛下と同じ位置づけになられたということですね。

陛下は当時の民法に準じて20歳で成年だったが、民法改正があったので、現在は18歳で成年になり皇太子であるがゆえに18歳で成年された上皇陛下の先例にならい、悠仁さまの大学入学後に記者会見を含む諸行事が予定されているということですね。

まぁ昭和天皇の時に上皇さまは皇太子で天皇陛下は次世代のということだったのでしょうが悠仁さまに関しては秋篠宮さまが即位拒否をしていてゆるがせていますからね。

それに誕生日に会見しましたが悠仁さまは成年会見とか成年式とかが出来るのって感じですからね。恐らく成年式に関しても卒業してからも出来ないでしょうね。

今年3月の段階で大学入学後でないと予定がわからないでしょうからと普通に考えたら3月の卒業式から大学入学前に成年式をすると思いますが入学してみないと予定がって発言しているのでもうだいぶ先延ばしにしたいのが伝わってきましたからね。

成年式の言い訳:特大ブーメラン

ちなみに神道研究家の高森明勅氏の言葉も紹介して、悠仁さまは帝王学を学んでおられないというのだが、伊勢神宮の参拝も幼稚園児のときで、愛子さまは中学校に入ってからだということですね。

参拝出来たら皇太子になれるわけでないんですけどね。逆に愛子さまは中学校になってから参拝したから八幡の考えでも愛子さまも皇太子になれるという考えってことなんですかね。

どんどん自分の発言にボロが出てきますね。それと悠仁さまは沖縄には小学1年、長崎には4年のときにご両親と、広島にも6年生のとき紀子さまと訪問され、平和の尊さを学ばれ慰霊を行っておられるということですね。

ただこの八幡の発言が完全にブーメランになりましたね。悠仁さまが広島に紀子さまと訪問したのは小学校6年生だったんですね。

でも悠仁さまは小学6年生であの平和の鐘をおもちゃみたいに遊んで鳴らしている感じで帽子もとらずに紀子さまはバッグをしょったまま横で見ているだけで鳴らさずに戻ってましたからね。

あれが小学6年生ですからね。まだ小学校低学年とかなら仕方がないかと思えるけども、小学校低学年でも紀子さまがしっかりとやりなさいって怒らないとダメな場面ですからね。

まぁ八幡の中では適当でもいいからおもちゃみたいに鐘を鳴らしたらそれで帝王学だと思っているんでしょうね。逆に愛子さまに関しては中学卒業を控えた作文で原爆ドームを訪れた作文を書いているわけですね。

しかもタイトルが世界の平和を願ってということでいつか核兵器のない世の中へという作文を書かれたわけですね。学習院中等科3年生の5月に修学旅行で広島を訪れたわけですね。

それで原爆ドームや平和記念資料館の展示をご覧になり、平和の大切さを肌で感じられたということですね。その時の作文は公開もされているし素晴らしいですよね。

中学生の作文で世界平和ですからね。しかもこの愛子さまの作文について雅子さまは今年の歌会始でも触れているんですよね。

雅子さまは今年の歌会始で広島を初めて訪れて平和への深い思いを我が子が綴られたことを詠まれたわけですね。雅子さまは、平和の大切さが愛子さまの世代、そしてさらにその次の世代へと将来にわたり受け継がれていくことを願われて、このお歌を詠まれたわけですね。

そして実は今年の誕生日にもそのことについて触れていますよね。今年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞することになったことも印象に残りましたと述べたわけですね。

来年は戦後80年を迎える中、被爆された方々の痛みや苦しみ、そして長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを馳せつつ、平和な世界を築いていくために、世界の人々がお互いの理解に努め、力を合わせていくことの大切さを改めて感じています。 と綴られたわけですね。

この平和な世界と言うのはまさに愛子さまの中学校の卒業の作文と重なりますよね。まぁ雅子さまはソフトボールもされていたから大谷選手の50-50の件にも触れていましたね。

ちなみに秋篠宮さまもらしいというかほとんどの人が興味がないマングースの話題について触れていましたね。奄美大島でマングースの根絶宣言があったということですね。

まぁ確かに生物界とかでは話題になったようですね。もともとは世界自然遺産の鹿児島県奄美大島で毒を持つハブへの対策として持ち込まれたわけですね。

でも生態系に被害を及ぼしたため捕獲が勧められてきて環境省が根絶したと宣言したわけですね。

この根絶したことをあれだけ広がっていたものを長年の努力で、もちろんマングースが悪いわけではないので、放した人間が悪いわけですけれども、それを根絶することができたというのは大きな成果だったと思いますと述べられたわけですね。

まぁこの放した人間が悪いというのも放した時にはハブの対策として持ち込まれたわけだからその持ち込んだ政府が悪いと言ってるようなもんですからね。

それと熊の被害とかそういう話題にしか興味がないですからね。まぁ動物に興味があるのは本当なんでしょうね。秋篠宮さまの場合委はメモを見てませんからね。

何度も聞きなおしたりしてメモを見ずにしゃべっているから動物には関心があるんでしょうね。

珍しい動物を食べたりとかそういうのもあるんでしょうけどね。トルコでもカレホユック遺跡のところで土器の仕分け作業をする作業員の女性に、「獣骨も結構出てきますか」などと声をかけられていたようですね。

まぁちょっと変わっていますね。ちなみに悠仁さまに関しては上皇さまのご指示で戦史研究家の半藤一利氏から戦争についての講義を受けておられるということですね。

ただ調べてみると平成最後となった2018年8月15日の終戦記念日に1度だけ秋篠宮邸に招かれて話を聞いただけのようですね。まさに秋篠宮家らしいですね。

しかも2時間半と長い講義は受けられたようですが1度きりですからね。そしてこの半藤一利さんは2021年1月に亡くなりました。

90歳だったようです。つまり2018年だから87歳ぐらいですかね。そんな高齢だったら話すのも遅いでしょうね2時間半の講義といっても休憩しながらとかでしょうね。

当時は悠仁さまも中学生だったようですが小学6年生で平和の鐘を遊び感覚で鳴らしていたのであまり頭には入っていないと思いますけどね。

八幡が悠仁さまを持ち上げれば持ち上げるほどボロが出てくるだけですけどね。そして外国の皇室との交流にも熱心で、ご両親とともにブータンを訪問され、国王ご一家と親交を深められたということですね。

ブータンも私的に訪問なのに歓迎式典みたいな行事までさせて迷惑かけていましたね。なんか悠仁さまのレベルに合わせたボール送りのような変な競技もさせられていましたね。

ブータンでは記者から質問の場面があって珍しく悠仁さまの声が聞ける場面がありましたが日本と比べてどうですかと質問があったわけですね。

そしたら悠仁さまが似ている感じがしますと言って秋篠宮さまからどの辺がと言われて木とか草とかと答えたわけですね。もういろいろと中学生であれだと終わっていますね。

それこそ中学2年生の作文も小笠原旅行の作文ではなくて広島の原爆やブータンについて書けばよかったんですけどね。

そして秋篠宮さまは11月30日に59歳の誕生日を迎えられ悠仁さまについて将来皇位を継承されるお立場ですが期待を聞かれ「一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしい」とざっくりした返答だったわけですね。

まぁ内心は俺が即位拒否したら悠仁さまは即位できないんだけどなって思っていたのかもしれませんね。でも八幡にはコレが幼少期からの帝王教育を説明されたと紹介しているわけですね。

帝王教育がなさ過ぎて記事として無理矢理書くしかないって感じですね。ただ実はこの誕生日会見の前にトルコ訪問前の記者会見をしていたわけですね。

そこで早い時期に海外留学をすることの重要性を話されたわけですね。このタイミングで海外留学に触れてきたことでなんか怪しいですね。

八幡の考えでは帝王教育の遅れなどないとしてスポーツにも熱心に取り組まれ健康だし、学業も屈指の進学校で高校でも少なくとも普通のレベルだということですね。

まぁ八幡でも少なくとも普通のレベルと書くのが精一杯のようですね。ちなみに八幡は高森氏にも対抗心を抱いているようで悠仁さまが成年の誕生日にお言葉が短すぎたわけですね。

それに対して愛子さまが成年になった時のお言葉と比べて中身がなさすぎると批判したわけですね。でもこれに対して八幡は愛子さまが成年の前月にするべき記者会見を準備ができてないと4カ月延期したのち、練りに練って出されたお言葉とは年齢も意味合いも違うので、比べるべきものでないと返答したわけですね。

ただこれも特大ブーメランになるかもしれませんね。そもそも愛子さまが延期したのは準備が出来ていないからではなくて眞子さんと小室圭の結婚問題で炎上して前日の秋篠宮さまの誕生日会見で炎上することが確定していたわけですね。

だから準備が遅れたのではなくて秋篠宮家が炎上していたからですね。それと悠仁さまの方が20歳になっても成年式が出来なくなるかもしれませんね。

そしてずっと成年式をしないかもしれませんね。そうなると特大ブーメランですね。悠仁さまは準備不足で何年後に成年式が出来るんでしょうね。

まぁ八幡氏はこの後も高森氏の記事に対抗した意見ばかりでもう出来損ないすぎる悠仁さまの言い訳にしかきこえないですけどね。

それと秋篠宮さまの即位を辞退についても反論してちゃんと皇室典範に定める事項については、皇太子の例によるとわざわざ定めていると反論していましたね。

立皇嗣の礼もして皇太子のシンボルである「壺切御剣」も陛下から親授されたということですが皇太子と同等の皇太弟も断られての皇嗣ですからね。

それと全世界のどこからも祝電が届かなかったことがすべてを物語っていますからね。まぁ論破されまくっているからもう自分に言い聞かせて納得するしかないというようなみっともない記事でしたね。

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