愛子さま休日返上:皇室の伝統を継承
女性自身に愛子さまのことが書かれていましたね。8月2日に愛子さまが乗られたワンボックスカーが日本赤十字社本社の地下駐車場に入っていったということですね。
まだ愛子さまの出勤の様子を張っているんですね。愛子さまは4月に日赤に入社されてから4カ月が経過しましたが、当初は、週2~3日の勤務になる予定が、ほぼ毎日出勤されているということですね。
そしてこれから社会人としての日々が始まりますが、早く職場になじみ、皆さまのお役に立てますよう、頑張ってまいりたいと思っておりますと述べられたわけですね。
こないだ東北地方の豪雨被害のため、最終的には辞退されましたが、天皇ご一家は8月2日から、静岡県の須崎御用邸で静養される予定だったわけですね。
だから愛子さまは本来はお休みを予定されていたわけですが静養が中止になったから出社されたようです。凄すぎますね。なんかしかも九州では大きな地震がありましたからね。
宮崎県日南市では震度6弱を観測したようですね。だから日赤としても本来は静養期間だったのに大忙しでしょうね。愛子さまはいまはボランティアに関する情報誌の編集などの業務を担当されているようです。
でも情報を整理して発信するというお仕事に強い意欲を燃やされているのでしょうということですね。ただ休日返上で働かれている愛子さまに対しても厳しい報道も相次いでいるということですね。
8月1日発売の『週刊文春』が《「公務選り好み」にも心配の声がというのと遅刻連発で迫る母娘シンクロの悪夢》というタイトルの特集記事を報じたということですね。
美智子さまの30分大遅刻の記事も特集で書いてほしいですね。記事中には『公務の回数が少なく、ご興味がある分野にしかお出ましにならない愛子さまも、かつての(雅子さまへの)ようなバッシングがいつ起こってもおかしくありません』という宮内庁幹部の談話が掲載されているようです。
まぁ文春もたまに陰謀論記事を書かされていますからね。悠仁さまの沖縄の修学旅行の記事も旅館の女将さんが筑附の生徒に聞いたら悠仁さまはごはんをおかわりしたらしいよっていう第三者の話を紹介していましたからね。
しかもおかみさんは悠仁さまを泊めていなくて悠仁さまがどこに宿泊したかもわからないで悠仁さまと一緒に宿泊した高校生にも文春はたどり着きませんでしたからね。
ちなみに文春だけでなくて美智子さまの雑誌と言われている女性セブンも7月25日発売の記事で愛子さまに公務をさせない許されざる圧力というタイトルの記事を書いてきたわけですね。
いずれの記事も、愛子さまの単独ご公務が、5月の国立公文書館での文学展をご覧になった1度だけであることをポイントにしているということですね。
特に『週刊文春』は、秋篠宮家の長女・眞子さんの新社会人になった時期と比較し、眞子さんの約三分の一しか公務をされていないとしているようです。
そんなこといったら佳子さまは公務ゼロだったんですけどね。ちなみにこういった報道に対して小田部教授は愛子さまが社会人となられて、まだ4カ月なわけでこの時期の報道はまるであらさがしのようだということですね。
ご公務は、数が多ければよいというものではないということですね。一つひとつに丁寧に向き合われることが大事で、さらに国民にとっては皇室の方々が自分たちに寄り添ってくださっているのが感じられることを望んでいるのではないかということですね。
そもそも愛子さまはほぼ毎日、日赤に出社されていて、ときには夜8時までお仕事をされていることもあるということですね。ちなみに7月30日は日赤を休まれていたようですが、それも宮中祭祀に臨まれるためだったようです。
7月30日は明治天皇の命日に当たり今年も皇居・宮中三殿の皇霊殿で『明治天皇例祭の儀』が営まれ、天皇陛下と秋篠宮ご夫妻が拝礼されたようですね。
そして愛子さまも参列されたようです。全然報じられていないんですね。調べたら産経新聞の皇室ウィークリーにしか記事がなくてしかも写真のほとんどは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまの公務でした。
産経新聞は統一教会が合流した新聞社なのでこういった宮中三殿での公務は重要視をしていないから秋篠宮家のことをメインに報道しているんでしょうね。
明治天皇の命日ということで明治天皇が崩御して112年で節目ではなかったけども愛子さまが日赤をお休みになってまで参列されたことからも、いかに祭祀を重視されているかが伝わってくるということですね。
愛子さまは単独公務は一度だけかもしれませんが宮中祭祀を重要視されていて最近だけでも、6月8日の桂宮さまの十年式年祭や6月16日の香淳皇后例祭の儀に7月24日の後宇多天皇(ごうだ)七百年式年祭など多くの祭祀に参列されているということですね。
特に後宇多天皇七百年式年祭に参列されるにあたっては、事前に天皇陛下や雅子さまとごいっしょに、後宇多天皇の功績についてもご進講を受けられたということですね。
皇霊殿などでの祭祀は、写真や詳細が公表されるわけではないけども愛子さまは皇室が守ってきた伝統を大切に受け継がれようと、ひそかに奮闘されているということですね。
創文際とか目立つ公務よりも伝統を大切にされているわけですね。秋篠宮家にはもう少し天皇ご一家のように徳を積む姿を見習ってほしいですね。
まだ常勤嘱託職員として働き出したばかりで仕事も慣れていないわけだし公務も適当な公務には出れないですからね。両親は天皇皇后両陛下だから今は引き継げる公務がないですからね。
それに報道するなら雅子さまが出れない公務を愛子さまがでてサポートされているとかもっと記事の書き方がありますからね。でも宮内庁の日程で調べてみたら雅子さまがお慎みで天皇陛下と愛子さまが一緒に祭祀に参列されているケースは結構あったんですね。
それなのにほとんど報道していませんからね。どうも皇霊殿で行われる祭祀に関してはメディアが報道することができない場所のようですね。
それでメディアは映像がないから報道しないわけですね。ちなみに1月7日にも昭和天皇祭皇霊殿の儀がありこの日も天皇陛下と愛子さまが祭祀に参列され雅子さまはお慎みされていました。
それでこの日の報道では佳子さまが武蔵野陵(むさしののみささぎ)で拝礼と映像付きで報じられていました。どうも佳子さまは武蔵野陵ですが秋篠宮ご夫妻は皇居で皇霊殿の儀だったようです。
どうも佳子さまはお供え物をするというような行事で天皇皇后両陛下や愛子さまや秋篠宮ご夫妻はや歴代の天皇の霊を敬(うやま)い、感謝や報告を行うための儀式ということですね。
だからこのことからも愛子さまは佳子さまよりも格上で雅子さまと同じ皇霊殿の儀の祭祀に参列されたわけですね。この経験は素晴らしいですね。
これは帝王学や象徴学といってもいいですけどね。愛子さまのご姿勢について、小田部教授も「祭祀への参列には国民の平和や安寧を祈るほかにも、長い皇室の伝統を継承し、天皇家のみならず国民が築いてきた歴史や文化を振り返るという意味があるということですね。
愛子さまが皇室の一員としてご自身の立場をふまえられているというご覚悟の表れで、そうしたお姿を知れば、国民はさらに愛子さまに敬愛の念を抱くのではないでしょうかということですね。
まぁ悠仁さまが皇霊殿の儀とかの祭祀に参列したら映像がなくても速報とかで報道するんでしょうね。愛子さまには心ない誹謗に負けず、これからも内親王としてひたむきに歩んでいただきたいとおわっていましたね。
珍しく女性自身が最近は愛子さまを絶賛していますね。まぁ皇室は批判記事がアクセスビューを稼げますが愛子さまに関しては絶賛する声が大きいから褒めてもアクセスが伸びることに気付いたんでしょうね。
野球も大谷翔平の記事は褒めてアクセスが稼げますからね。褒めてアクセスがある人と言うのは多くの人から愛されている人なんでしょうね。
まさに愛子さまこそが次の天皇に相応しいんですけどね
成人年齢引き下げの秘密:宮中行事の謎
ヤフーのエキスパート記事に珍しく宮内庁OBの山下晋司氏の記事が掲載されていましたね。皇族の成年ということで悠仁さまが来月9月6日に18歳の成年になる件ですね。
民法が18歳成年と改正されて初めての成年皇族ということですね。でも悠仁さまは受験生で、進学に向けて学業を優先するから、成年式は誕生日当日ではなく、高校卒業後の来年3月以降に行われる予定ということですね。
4月以降と報じていたメディアもありますがどうなんでしょうね。ちなみに民法改正前は天皇陛下も秋篠宮さまも20歳で成年になったということですね。
でも上皇さまは皇太子だったので18歳で成年になったということですね。これは皇室典範第22条に天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18歳とあるわけですね。
ただその年の5月17日に貞明皇后が崩御されたので、喪が明けた翌昭和27年11月10日に成年式と立太子の礼が行われたようです。
上皇さまのように貞明皇后が崩御されて喪が開けるまで延期と言うのと桂宮さまも20歳の成年の誕生日は学習院大学の試験期間中だったから2週間ほど延期したわけですね。
そういった理由があっての延期はあったけども成年になった誕生日になった当日に行われてきたわけですね。成年式当日に天皇から大勲位菊花大綬章が親授(しんじゅ)されたということですね。
つまり悠仁さまは天皇陛下から勲章親授は成年になった日ではなく来年3月以降となるということですね。ちなみに成人年齢が引き下げられたのも悠仁さまの為だと感じました。
その理由として皇室典範22条で天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、十八年とあるわけですね。ここに悠仁さまが含まれないのがまずいけどもバレたくないから成人年齢を18歳に引き下げたのではないでしょうか。
ちなみにチャットGPTに皇室典範22条にある天皇、皇太子及び皇太孫について悠仁さまがあてはまるか念のために聞いてみました。
そうするとやはり、あてはまらないと返ってきました。悠仁さまは現在、皇位継承順位が第2位にありますが、天皇の直系の子ではないため、「皇太子」や「皇太孫」という称号は与えられていないということですね。
皇太子 は、天皇の直系の男子であり、次に皇位を継承する者に与えられる称号で今上陛下は即位前には皇太子だったということですね。
でも悠仁さまは天皇の直系ではなく、天皇の弟である秋篠宮さまの息子だから皇太子とはされないということですね。そして皇太孫 という称号も、天皇の直系の孫に与えられるものだということですね。
そして現在の皇室制度では明確な称号としては存在しないということですね。だから悠仁さまはあくまで皇位継承順位第2位の「親王」という立場だということですね。
この点が、日本の皇室における称号と継承順位における微妙な違いを表しているということでこのことが安倍晋三としてはまずかったのではないですかね。
国民に明確にバレてしまうからバレないように成人年齢を引き下げたのではないでしょうか。実は成人年齢の引き下げに関しては2018年6月に民法の定める成年年齢を18歳に引き下げる民法を改正することが決まったようです。
2018年4月から施行ということで決まったわけですね。2018年6月なので上皇さまは2016年8月8日にビデオメッセージで退位の意向を示されたわけですね。
それでこのまま生前退位してこのまま悠仁さまが18歳になった時に悠仁さまは皇室典範22条が適応されないので青年は20歳になりますと国民に明確にバレちゃうわけですね。
それがまずいから成人年齢を引き下げたわけですね。だから早くアピールしたいから引き下げたのかもと言うのもありましたが実は皇室典範22条に合わせる形で民法が改正されたわけですね。
それでそのついでに女性の結婚年齢も16歳から18歳に引き上げてそこだけは男女平等になったわけですね。それだったら皇位継承も男系男子から著系長子にすればいいんだけども民法を改正するよりも皇室典範はややこしいってことでしょうね。
そういう悠仁さままではゆるがせにしてはいけないということが前提で統一教会に言われて民法が改正されたのかもしれませんね。
ちなみに成年皇族になると宮中での儀式や行事、宮中祭祀の参列範囲に入るが、参列は義務ではないということですね。また、学生の間は学業優先という考えがあるため、成年になっても平日に行われる儀式・行事にはほとんど参列されないということですね。
だから悠仁さまに関しては大学に進まれるだろうから今後、数年間は参列の機会は少ないだろうということですね。でもアピール出来る公務に関しては出席するんでしょうね。
悠仁さまに関しては7月18日、西村宮内庁長官が定例の記者会見で宮中行事に参列されるのは成年式を終えてからが妥当だと発言したわけですね。
でも、園遊会など宮中行事以外には参列される可能性はあるとしたわけですね。だから次の秋に行われる予定の園遊会に悠仁さまが出席されるのではないかといわれているわけですね。
ただ山下晋司氏は悠仁さまが園遊会に出席するかどうかよりも園遊会は宮中行事ではないという箇所が気になったということですね。
宮中行事とは何なのかということで。「宮中行事ではない」というからには、宮中行事の定義があるはずで、定義がなければ「宮中行事ではない」とは言えないだろうということですね。
この疑問については、8月5日のNEWSポストセブンが報じていて宮内庁に宮中行事の定義を問い合わせたところ「明確に定義したものはありません」という回答だったようです。
これは明確という文言に逃げ道を作っておこうという意図を感じるが、答えられなかったということに違いはないということですね。
なぜ長官は「宮中行事ではない」と言い切ったのか不可解だが、この件に限らず、令和の宮内庁は理解に苦しむことが多いということですね。
まぁ令和になる前の山下晋司氏が宮内庁職員だった時も理解に苦しむことが多かったからこんなことになっているんですけどね。
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