愛子さまが継承:平和への思い
プレジデントオンラインで皇室研究者の高森明勅氏の記事が掲載されていましたね。将来の皇室を担うのは愛子さまが最もふさわしいという記事ですね。
戦没者の慰霊や平和への思いは、皇室とは切っても切れない関係があり「誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではないかということですね。そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが敬宮愛子内親王殿下ではないか」ということですね。
8月15日に終戦記念日で天皇皇后両陛下は日本武道館で行われた全国戦没者追悼式にご臨席されて黙祷の上、おことばを述べられたわけですね。
深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈りますと述べられたわけですね。
そしてこの日に愛子さまも黙祷されましたが実はその為に半休を取られていたわけですね。いつもは9時前には出社されますがこの日は午後から出社されたようですね。
そりゃ会社で一人だけ黙祷というのも変だし普通の職場では黙祷の時間とかないですからね。だから半休とって例年通り、御所で黙祷を捧げているわけですね。
6月23日は沖縄慰霊の日、8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日、そして8月15日・終戦記念日は、皇室にとって忘れてはならない四つの日とされているわけですね。
だからこの日は天皇ご一家と上皇ご夫妻は毎年黙祷されているわけですね。そして令和になってからはこの日に加えて阪神淡路大震災や東日本大震災の発生の日に黙祷されているわけですね。
上皇さまも戦争の責任をどこまで追わなければいけないのかという思いはあったようですね。昭和の戦後時代には、あたかも天皇・皇室が戦争の大きな原因であったかのような見立てが、漠然と多くの人たちに受け入れられていた時期もあったということですね。
それが反天皇・反皇室的なムードにつながっていたりもしたということですね。でも戦後の歳月に平和が声高に語られる中で、誰よりも切実に平和を念じておられたのは昭和天皇であり、皇室の方々だったのではないかということですね。
そして、その皇室の平和への願いを最もまっすぐに受け継いでおられるのが、ほかでもない令和で唯一の皇女でいらっしゃる敬宮殿下ではないだろうかということですね。
雅子さまも今年の歌会始で愛子さまの作文について詠まれたわけですね。愛子さまが中学3年生5月の修学旅行の特に初めて広島を訪れられ原爆ドームや広島平和記念資料館の展示などをご覧になったわけですね。
それで平和の大切さを肌で感じられ、その時のご経験と深められた平和への願いを中学校の卒業文集の作文にかいたわけですね。
これを作文コンクールに出したら大賞間違いなしでしょうね。愛子さまじゃなくてもタイトルに世界平和とあれば目が行きますからね。
それで中身も凄い内容でなかなかこういうタイトルで作文が書けるだけでも凄いことですからね。そしてこの時のお題が和でしたが天皇陛下も3首の中で平和についても詠まれていたようですね。
でも雅子さまの歌とテーマがかさなるので御用掛で歌人の永田氏が雅子さまにお譲りになってはと提案して天皇陛下が喜んでと応じられたわけですね。
ちなみに秋篠宮さまはテーマが和ですが十和田湖に和が含まれるから地名で和を使ってきたわけですね。まぁ秋篠宮さまらしいですね。
和が入っていたらいいんだろって感じですね。愛子さまは中学生の頃から作文で「世界の平和を願って」と平和への思いを語っているわけですね。
しかも中身も私たちは度々『平和』『平和』と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。と中学生とは思えない作文ですね。
今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。ともう中学生とは思えない作文ですね。
戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうかとあるわけですね。
なかなかそうだよなと思っても自分では書けない作文ですよね。平和を他人事ではなく我が事としてとらえていてその上で、等身大の日常から平和への道筋を真剣に考え抜かれたわけですね。
確かに言われてみれば昔は当たり前じゃなかったんだってなりますからね。そして愛子さまは成年会見でも感想で「日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら」と思いやりと感謝についても触れているわけですね。
この思いやりと感謝に関しては中学生の世界平和の作文に平和へのスタートラインとしても記されていたようです。上皇さまも天皇として最後に迎えられたお誕生日に際してのお言葉で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたわけですね。
天皇からしてみたら近代以来、各天皇の時代でまったく戦争がなかったのは、平成が初めてだったわけですね。明治時代には日清・日露戦争があり、大正時代には第一次世界大戦への参戦があったわけですね。
そして昭和時代には満州事変、シナ事変、大東亜戦争があったわけですね。どの時代も前向きに戦争を望まれた天皇はいないが結局、戦争を避けることはできなかったわけですね。
昭和天皇も昭和61年国技館で開催された政府主催の天皇陛下御在位60年記念式典でのお言葉の際、もお祝いムードでしたが戦争についても触れているわけですね。
「今ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」と述べられたわけですね。
お祝いムードのピークに位置したころでも昭和天皇ご自身のお言葉からは「先の戦争による国民の犠牲」について語られているわけですね。
しかも昭和天皇は亡くなる直前で癌になっていて7月下旬から那須御用邸で静養をしていましたが、側近の制止を振り切って8月13日にヘリコプターで東京にお戻りになりかなり無理して、日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式典にお出ましになったわけですね。
手すりにすがりながら壇上に登られたわけですね。でも足元がおぼつかないから、正午の黙祷の時間までに壇の中央に進むことができなかったようです。
そういった平和への思いを上皇さまが受け継がれて平成時代は慰霊の旅としていろいろ国内外の戦いが行われた跡地を訪れたわけですね。
それで退位されるときに平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵していますと述べられたわけですね。
そのような平和への思いを、天皇皇后両陛下を通じて我が事としてまっすぐに受け継いでおられるのが、愛子さまだということですね。
まぁその平和から一番遠い存在なのが秋篠宮家ですね。常に誰かが炎上していますね。秋篠宮家全員が炎上するし親族も炎上するし今度は秋篠宮家が海外とかで英語を話す時の文書とか英語でのコメントを出す時のチェックをしているネイティブチェッカーがハニトラに引っ掛かったわけですね。
もういろいろ秋篠宮家はありますね。まぁ国民の9割が女性天皇に賛成しているし天皇陛下の直系のお子さんが天皇になるのが一番自然だし過去に女性天皇はいたし女性天皇の娘さんが天皇も過去にもありましたからね。
女官が母娘の絆:未来見据えた新女官
ちなみに女性自身では30年間務めた恩人女官の娘さんが新女官に着任と報じられていましたね。8月15日に79回目の終戦記念日を迎え天皇皇后両陛下は出席されたわけですね。
雅子さまも体調の問題もあって8月に入られてから、15日の追悼式への出席を最優先に、体調を整えられていたようですね。まぁこの日だけは出席という強い思いがあるということですね。
皇室にとって重要な一日に、陛下とともに準備をされてきた陰で、雅子さまを公私ともに支える側近チームに、新たな人材が加わったということですね。
それが7月26日付の人事で、大久保恭子さん(54)が新たに侍従職女官として着任したようです。先月12日付で、ご成婚翌年から女官として両陛下や愛子さまを支えてきた岡山いちさんが、勇退されたわけですね。
30年間女官として勤めた女官ということで凄いですよね。雅子さまが体調を崩されて軽井沢での転地療養や、愛子さまが登校不安を訴えられたときも、岡山さんは献身的にお世話にあたってきたわけですね。
女官の存在は雅子さまにとっても重要な存在で侍従と同じく、公私にわたってお世話をしますが、女官はよりプライベートな事柄に関わるわけですね。
だから信頼関係が重視されるつとめで人脈を駆使して適任者を探し、採用しているわけですね。ちなみにこの最近採用された大久保さんの経歴はけっこう異色なようですね。
大久保さんは、20年前まで都内の有名私立小学校で教師を務めたようです。それで塾講師や家庭教師など、民間で教育分野に関わってきた女性のようです。他の女官は元通訳さんとか海外に行かれても通用する国際派が多いようですね。
これまでは宮内庁をはじめとする省庁の幹部、旧華族に連なる人から選ばれるケースがほとんどだったようです。そしてこの最強チームに大久保さんが起用されたわけですね。
大久保さんは今後のご公務で、教育や児童福祉といった分野へのアプローチをいっそう強めていきたいという雅子さまのお気持ちも大きいのだろうということですね。
雅子さまはご成婚前より、国内外の恵まれない子供たちの生活や教育を支援する活動に強い関心を持たれてきたわけですね。体調が優れない時期であっても、子供たちとの交流を懸命に重ねられていたわけですね。
雅子さまは日々さまざまな事柄を女官と相談しますが国際派の女官たちに、長らく教育の現場に通じた大久保さんがチームに加わることで、新しい知見がご公務に反映されることを期待されているのだろうということですね。
そして何よりもこの大久保さんは30年間女官として勤めてきた岡山さんの長女のようですね。愛子さまもばあやとして頼りにされてきた元女官の岡山さんの長女ということですね。
大久保さんは岡山いちさんの長女で岡山さんが東宮女官となってしばらくしたころ、泊まり勤務もある女官の仕事と、お母さんの介護との両立に悩まれていたことがあったようです。
そんな岡山さんの姿を見かねて大久保さんが教師を辞め、おばあさんの介護にあたるようになったようです。岡山さんも、娘さんへの感謝の言葉をよく口にされていたようです。
雅子さまのご活動やお気持ちを最もそばで見てきた岡山さんだからこそ、現在の女官チームに大久保さんを推薦されたのでしょうということですね。
母娘の二代で雅子さまにお仕えすることになって、岡山さんも『ありがたいことです』と感慨深そうな様子だったようです。
女官の近親者が女官となることはめずらしくないようです。上皇ご夫妻の頃にも親族がされることがあったようですね。
女官が母から娘へ継承されるんですね。皇室典範に関しても過去に母から娘に天皇が継承されて女系天皇は誕生しているわけだから明治から始まった男系男子にこだわらずにはやく安定的な皇位継承の議論をしてほしいですね。
ただサンデー毎日でも森暢平が記事にしていましたが安定的な皇位継承に関してはまたも先送りで責任は額賀議長と岸田首相にあるということですね。
国会における皇位継承議論が頓挫したのは小泉純一郎内閣の2005年と野田佳彦内閣の12年に続き3度目の挫折だということですね。
今回の議論は、上皇さまの退位を決めた特例法成立の際、両院が付帯決議をした2017年6月まで遡るわけですね。決議は、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」についてとあるわけですね。
でも女性宮家を認めたかに見える女性皇族が結婚後も皇室に残る案に関しては女系に繋がる可能性を排除するために結婚後は皇族と一般人として生活してくれという案なわけですね。
しかも皇位継承者の確保という議論をしているのに皇族数の確保にすり替えられた議論の報告書が出てきたわけですね。
額賀議長は、各党各会派から個別聴取をすると言い張って6月14日から8月7日までの6回、一通り話を聞いたけどももはや「消化試合」で実質的な意味は何もなかったわけですね。
自民党、公明党は、額賀議長のパフォーマンスにもお付き合いせず、聴取そのものに対応しなかったわけですね。つまり、やる気さえ見せなかったわけですね。
この先送りの戦犯は岸田首相だということですね。岸田首相は内閣支持率が低迷し、世論をバックに再選することが難しい情勢のなか、当時の安倍派をはじめとする保守層を繋ぎとめる手段として、皇位継承に取り組むとぶち上げたわけですね。
それでその後、10月26日に発売された保守系の月刊誌『WiLL』(12月号)で、櫻井よしこと対談して。「前回の総裁選において、旧宮家の男系男子が皇籍に復帰する案も含め、女系天皇以外の方法を検討すべきだと主張しそのときの約束を反故(ほご)にすることはありません」と明言したわけですね。
保守派しか読まない雑誌に登場して、自分は旧宮家養子案に前向きだと大見えを切ったのだけど、これは露骨なパフォーマンスでまた自分が再選したいから力を貸してくれと言うアピールだったわけですね。
保守派しか読まないから9割の国民が支持する女性天皇に支持しているから9割がみない自称保守の雑誌でのみそういう主張をしたわけですね。
ただそれでも支持が貰えずに退陣表明したわけですね。もう愛子さまは22歳で佳子さまは29歳でこれ以上の先延ばしは本当に許されないということですね。
当然ここには承子さまとか彬子さまや瑶子さまも含まれますがもう先延ばしが本当に許されないわけですね。まぁ次の総裁選がカギを握りそうですね。次の総裁選はどうなりますかね。
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