宮中重大スクープ美智子さま雅子さま叱責:黒田清子カワセミ事件
週刊文春の2016年1月21日号に宮中重大スクープとして美智子さまが雅子さまを叱ったという記事が掲載されていました。
これは2015年12月23日の出来事で上皇さまの誕生日ですね。上皇ご夫妻が天皇皇后両陛下だったころの上皇さまの誕生日の日にみんなが集まったようですね。
両陛下のお誕生日の夜と新年三が日はは特別なご夕食を召し上がると言うことでこの日は現在の天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻と黒田夫妻がいたようです。
黒田夫妻もいたんですね。事件はこの食事の後に起きたと言うことで別室でお茶などを召し上がりながら歓談されていたようですが美智子さまが雅子さまを連れ出したようです。
全ての事情を知る千代田関係者と言うことでこの千代田関係者がどう考えてもその場にいた職員以外考えられませんがその人の証言が書かれています。
実は美智子さまは雅子さまを連れ出すチャンスを1ヶ月以上前から狙っていたようです。実はこの上皇さまのお誕生日が終わってから再度12月26日に呼ぶ予定だったようです。
12月26日はボクシングデーといってこれはボクシングとは無関係ですがキリスト教ではこの日はクリスマスの翌日で協会が貧しい人のために寄付を募り箱に入れられたプレゼントを贈る日だったようです。
それが最近ではクリスマスも仕事で忙しい教会の人に贈るという意味に変わってきているようですね。
まぁ美智子さまはキリスト系の学校を卒業しているので特別な意味があるんでしょうね。それでこの日に呼ぶ予定だったようです。
でも体調に不安がある雅子さまを2度呼ぶのはさすがにまずいのではと廻りの職員が行ったのかはわかりませんが急遽この上皇さまの誕生日に後に呼びつけたようです。
美智子さまは東日本大震災の前にあちらとは途絶状態なので何か伝えたいことがあっても皇太子にではなく長官に言うしかないと言ってたようです。
まぁ上皇さまも美智子さまの事をあちらというようですが美智子さまが雅子さまの事を話す時もあちらっていうんですね。ちょっと寂しい発言ですね。
まぁ確かに皇室は苗字が無かったりとかそういうのはあるんだろうけども自分の妻ですからね。
それでなぜ雅子さまと二人きりの時間を求めたのかということですがそれは皇太子の年齢と深い関係があるということですね。
2015年は皇室にとっても節目になる一年で戦後70年目の慰霊に尽くされたのですが天皇陛下が82歳で皇后陛下が81歳になったわけですね。
それで皇太子も上皇さまが即位された55歳になったのでもう時間がないというのが一番の理由だということですね。
さらに上皇さまの老いの兆候も表れて段取りを間違えられたりもしていたわけですね。
上皇さまの体調も年齢を感じることも多くなって上皇さまが即位した年齢にもなって雅子さまも12年ぶりに園遊会に出席されたタイミングでもあったようです。
それで体調も回復傾向だったわけですね。それでこれまでは病気にさわるといけないと遠くから見守る姿勢だったようですがついに直接指導かということですね。
まぁ馬アレルギーとかそういう設定にしたりするような美智子さまがいっても嘘だとすぐわかりますけどね。
それで美智子さまは何気なく直接触れ合う言葉をかけられるディスタンスが大切なのよと語ったようです。
それで雅子さまは美智子さまに愛子についてもいろいろと両陛下からお気遣いいただいていることには感謝していますと述べたわけですね。
そして愛子も歴史などに興味を持ち歴代の天皇陛下のご業績を継がれる中で陛下が心をこめてなさっていることをご尊敬申し上げておりますと語ったようですね。
ただこのご尊敬という雅子さまの言葉にりすぺくとというのみではなくやはり実践と時代の空気に触れるということが大事なのよと美智子さまが語ったわけですね。
その意義や内容を分かっていなければ引き継いでいくことが出来ないしお支えすることは出来ないよと語ったわけですね。
皇太子をお支えすることに思いをいたすことで自分が皇室の中にいる意味を理解できるのではないかしらということでその理解によって国民から支持されていくと語ったわけですね。
それで人々の前に姿を見せることが最善の道だと思っていると語ったわけですね。
それが公にされている適応障害という病気にもとても良い効果をもたらすのではないかと思うということで病気の事なんてわからないくせにそういう風に雅子さまに語ったようですね。
雅子さまもただただ聞くしかなかったようですね。そして美智子さまは私がいろいろなことを皇室の中で乗り越えられた根っこにはかつてずっと信頼していた方から本当の病気と自分が病だと思っている者は違うのですよと言われたことがとても強く残っていると語ったようですね。
まぁこれは正直かもしれませんね。美智子さまは失声症と嘘の病気を語って仮病を使いましたがそれと本当の病気は違うのよと言われたのでしょうね。
でもこれを雅子さまに言うということはお前も嘘ついてるだろと言わんばかりの発言ですけどね。
ただこの記事では美智子さまを褒めたたえていて想像してみてください。もし全国戦没者追悼式が天皇陛下一人で黙祷されお一人でお言葉を述べて雅子さまが御所で休んでいたら象徴から遠のくのではということですね。
でもいつも横についている割には上皇さまが段取りを間違えた時も何もサポートをしなかったですからね。
ちなみに美智子さまは4つの日に関しても重要性を語っていて原爆の日と広島・長崎の原爆の日と沖縄慰霊の日に関してはどこにおられても黙祷されているという意義を深く理解していってほしいと語られたわけですね。
ただ令和になってから天皇皇后両陛下はこの4つの日に追加して阪神・淡路大震災と東日本大震災の日にも黙とうをされています。
恐らくそのことを上皇ご夫妻にも伝えたのかもしれませんね。それで上皇ご夫妻もその日は黙祷と報道されるようになりましたね。
ただその割には秋篠宮家はこの日に黙祷されたことがないですからね。紀子さまの美智子さまの真似するのに黙祷されないんですね。秋篠宮さまが別にいいんじゃないって感じかもしれませんね。ある意味素直ですからね。
ただ美智子さまに関しては被災地には実際に訪れてもっと時間をかけて被災者の方々の気持ちに、おっしゃることに触れるようにしなければいけないということも語ったようですね。
まぁ自分は被災地で水仙の花を飾ってドライフラワーにする面倒までかけたり寄り添っているとは思えないですけどね。
ちなみに美智子さまはその時に雅子さまの実家との関りについても質問して小和田家との方はどうなのと質問して妹さんたちはと聞かれたようですね。
そして雅子さまが連絡を取られている旨を話すとご家族という意味では連絡を取るというのはいいけども皇室という中では小和田家は特別の存在ではないと話したようですね。
だから皇族として小和田家とふれあいを持つという心構えでなければいけないと説教したようですね。
ようやく病気が回復されようとしている段階なのにまた病気になれと追い込んでいるようにしか思えないですね。
しかもこの後も病気になるように仕向けて馬アレルギーとか嘘の病気の設定も作ったりえげつないですね。
ちなみに美智子さまは1988年に母親の正田登美子さんがなくなり葬儀があり秋篠宮は美智子さまの秘められた正田家への強い思いを知りお言葉を述べているようですね。
登美子さんは美智子さまが皇室の一員である自覚を持ち美智子さまも賞だけへの感謝と懐かしさをどんなに強く感じていたかを知りましたと述べているようですね。
まぁこれは恐らく正田登美子さんがカトリックでしたが葬儀は神社神道の神職の人がやってきてお通夜の儀式を執行していたんですよね。
それでカトリックなのにそれが原因で美智子さまが炎上しているからこうした儀式で葬儀をしたのではないかということですね。
そういった姿を見ていろいろ感じたのかもしれませんね。だから雅子さまに対しても家族と深く関わるなと伝えられたわけですね。
そして他の皇族たちとの交流が途絶えていることは好ましいことではないしそれぞれの皇族がどのような公務を行っているかということを分からなければ今の状況を全く把握していないのと同じといわれたわけですね。
そして美智子さまは黒田清子さんのことを凄く評価していたみたいで清子さんは本当に人を助けることを生きがいとしているし清子さんに聞けばいろいろなことがわかるのにと不満を口にしたようです。
実は雅子さまと黒田清子さんの間には一度溝が深まった事件があったようです。
それはカワセミ事件ですね。ご成婚されて間もなくの時に清子さんが赤坂御所でカワセミの研究をされていたようです。
それでカワセミが抱卵してヒナを育てて巣立つまでテントに入って観察する時刻は明け方で皇居から観察ポイントまで行くには一般道を通るので赤坂御用地のどこかに泊まらなくてはいけなかったわけですね。
だから皇太子ご夫妻に迷惑はかけないから泊めてほしいと何度かお願いしたのですが都合が悪いのでと断られたようです。
それから秋篠宮さまが引き受けられて紀子さまは自分が外国へ立たれる前日も泊めてくれたようです。
それであまり怒らない黒田清子さんがもう二度と頼みませんとおっしゃったようです。まぁこれが美智子さまに頼まれて偵察という意味に捉えて断ったのか本当に断ったのかどうなんでしょうね。
美智子さまが雅子さま和歌を助言:ブーメランで愛子さまが藤原道長が凄い
もともと黒田清子さんは秋篠宮さまと関係が出来ているんじゃないかってぐらい仲が良かったですからね。ちなみに美智子さまは雅子さまに和歌についてのアドバイスもされたようです。
なんかいろいろややこしい関係ですね。どう考えても和歌とかそんな知識は雅子さまの方があるのに美智子さまは雅子さまのお歌が家族のことを詠んだものが多くそれが気に入らなかったようです。
愛子さまの誕生から8年連続でご家族が題材だったようです。それで美智子さまは和歌というのは広く公に向けて自分たちの気持ちを歌うものなのよと言ったようです。
それで藤原道長が我が世の春のことを歌ったような自らのことばかり歌うというのはふさわしくないのですと語ったようです。
なんかそれを聞くと意味深ですね。愛子さまは藤原道長についてのレポートも提出されていますよね。そしてここで美智子さまがブーメランであることも判明しました。
最近の記事で藤原道長はこの世は我が世といった感じの和歌について実は我が世の春を謳歌した歌ではないという解釈がもたれているという記事が紹介されていました。
望月の歌というのがありますがこの歌はすべてが自分の思う通りになり、何一つ欠けることのない満ち足りた状態を表現しているとされてきました。
でも近年の研究ではこの歌に対する新しい解釈が提案されているようです。この歌の背景には道長の三女が皇后になることを祝う宴があって宴会での盛り上がりの中で詠まれたようです。
それで宴の一環としての共有と祝賀の意味合いが強かったとされているようです。雅子さまならそこまで深く理解していた可能性がありますね。
最近ではこの歌がその夜特有の美しさや和気あいあいとした雰囲気を楽しんでいる状態を指していると解釈されているということで美智子さまが知ったかをしてしまったということですね
。
ちなみに黒田清子さんはかつて月ごとに天皇に歌を献上されていたようですね。でも雅子さまはそれをされなかったということでほとんどの皇族はそれをしていないでしょうね。
雅子さまだけ的を絞っていじめていたんでしょうね。歌会始に関しては雅子さまはそれから被災地を詠まれたりしだしたようですね。
和歌は自分の色が出るからいいのに指図されたくないですよね。ちなみに翌日の24日は毎年雅子さまの妹の池田礼子さんのマンションを訪れてクリスマス会を楽しまれていたようです。
でもその年は雅子さまの姿がなかったようです。そして後日美智子さまは雅子さまが深く受け止めてくれたと思うということで、雅子が変わってくれなければ東宮一人だけが地方や外国を訪問することに納得しない人が増えているということですね。
まぁもしかしたら本気で美智子さまはそんなことを思っていたのかもしれませんね。でも雅子さまが仮病だと思っていたのか病気のことを調べずに理解が足りなかったのかどちらかでしょうね。
病人を追い詰めて最低なことをしていることに今でも気付いていないのかわざとなのか美智子2号なのか3号なのかヤバい美智子がいるのかどうなのかということですね。
まぁこの記事は2016年1月の記事で2015年の年末の話題だから愛子さまが中学生の頃ですね。藤原道長のような和歌で自分の事だけしか考えていないというような感じで怒ったようですが愛子さまは藤原道長のレポートを書き、いろいろ平安時代について勉強されましたからね。
令和になってから平成には出来なかった午餐会で和食を提供されたりいろいろいい方向に動いていますね。まぁ両陛下が被災地に言ったらまた美智子さまも出しゃばっていろいろ美術館とか行きだすんでしょうね。
秋篠宮家もいろいろ邪魔していますが皇室典範を改正して愛子さまを立太子にしてほしいですね。
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