母と話せない10年:三笠宮家の深まる亀裂
女性自身に信子さまと彬子さまの不仲について書いていましたね。義母の百合子さまが薨去されて天皇皇后両陛下をはじめ、皇族方が次々と三笠宮邸を弔問されたわけですね。
百合子さまは11月15日朝、老衰で薨去されたわけですね。百合子さまは2024年3月から聖路加国際病院に入院されていて容態が悪化と言われていて彬子さまがイギリスから急遽帰国とあったので長くないなとは感じましたけどね。
百合子さまは高木百合子として誕生して1941年10月に18歳で昭和天皇の弟の三笠宮さまと結婚されたわけですね。101歳だから生涯のうち、80年以上を皇族としてすごされたということですね。
新婚ですぐに戦争が始まったわけですね。夫の三笠宮さまは2016年に薨去された後は、当主として三笠宮家を守り続けてこられたわけですね。
百合子さまの薨去で宮中は悲しみに包まれているけども、その裏で百合子さまが容体が悪化してからも信子さまは病院に見舞いにすらいけなかったわけですね。
信子さまは百合子さまからすると長男の妻ですね。彬子さまは月刊誌でも長年にわたる家族の断絶を赤裸々に明かされているようです。
2012年にヒゲノ殿下こと寬仁さまが薨去されたわけですね。それから3年後に文藝春秋で彬子さまが思いを綴られているわけですね。
寬仁親王家は長い間一族の中で孤立していたということですね。その要因であったのが、長年にわたる父と母との確執であり、それは父の死後も続いていたということですね。
母の信子さまは父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていたということですね。
私自身も十年以上、きちんと母と話をすることができていないと文春で綴られていたわけですね。信子さまが病気療養という理由で、寬仁親王邸から出られたのは2004年だったわけですね。
理由としては寬仁さまとの夫婦仲の悪化のためだったということですね。寬仁さまのアルコール依存症の治療を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったと報じられているわけですね。
まぁ寬仁さまがアルコール依存だとわかっていたけどもアルコール依存だから病院へと行ってと言っても話を聞いてくれないからがんの検査とだまして病院に行かせたと言われていますね。
その信子さまの気持ちも分からずにヒゲノ殿下が騙しやがってとブチぎれたということですね。ちなみにそれから瑶子さまも信子さまのことを母とは呼ばなくなったようですね。
彬子さまや瑶子さまは心の底から寬仁さまを敬愛されていたということですね。お二方からすれば、病気のお父さまを置いて家を出てしまうなんて許せないという気持ちだったのでしょうということですね。
それで2012年に危篤状態になられた寬仁さまに会うため、信子さまは何日も病院に通われたけどもご家族の意向としてご夫婦の対面は最後まで叶わなかったということですね。
それで三笠宮ご夫妻のご意向もあり、葬儀の斂葬の儀(れんそう)の喪主は彬子さまが務められることになり、信子さまは葬儀にも参列されなかったということですね。
寬仁さま薨去の翌年、信子さまは公務に復帰されたわけですね。当時、百合子さまが対話を求める手紙やファクスを送られたそうですが、信子さまは頑なに応じられなかったようです。
百合子さまからの手紙にも応じられなかったんですね。それから10年以上たつけども信子さまと彬子さまの関係は悪いままということですね。
瑶子さまの知人によると瑶子さまの口から母や母親という言葉は聞いたことがないようです。信子さまのことはあの人と呼ばれているようです。
つまりそのようなことをいうのは仲が悪い証拠だということですね。ただ上皇さまも美智子さまのことをあちらはなんていってるのと表現するようですけどね。
関係がいい呼び方ではなさそうですね。皇族数の減少が問題視されていますが瑶子さまも信子さまが公の場に立たれることをよく思っていなかったようですね。
さらに瑶子さまは、信子さまが職員を使って、ご自身や彬子さまの交友関係などを調べていると考えていて、そのことについても不満を募らせていたということですね。
まぁ娘の交友関係ですからね。普通なら心配してなんでしょうがスパイ的な感じで警戒していたんでしょうね。ただ関係も悪くて信子さまと彬子さま、瑶子さまがいっしょに行事などに臨まれることはほとんどないわけですね。
ただ園遊会とかは両陛下が主催だから一緒に並ぶしかないわけですね。ただ信子さまとお子さま方が会話をされているご様子はなかったということでうね。
10月30日、秋の園遊会で和装のお三方が並ばれていましたが、皆さまが厳しいご表情で、視線を合わせられることもなかったようです。
ちなみに彬子さまと瑶子さまもお話しされていなかったのが印象的ということで姉妹も関係が悪いですかね。どうもこの10年ほどで姉妹にも亀裂が生じているということですね。
三笠宮家の事情に詳しい関係者は瑶子さまは、お姉さまに対しても複雑な感情を抱かれているようだということですね。それはあるとき、姉は家を守らないで、京都に住んでいるからねと、ポツリともらされたことがあったようです。
まぁ彬子さまは、大学の講義や自ら設立された心游舎の活動などがあるから京都に滞在されていることも多いということですね。
ただ瑶子さまとしては、高齢の祖母・百合子さまのおそばにいて、実質的に三笠宮家を守っているのは自分なのにという思いをお持ちだったのだろうということですね。
凄い複雑な関係ですね。ちなみに天皇陛下が即位されたとき、百合子さまはブローチを瑶子さまに譲られたようです。これは大正天皇の后・貞明皇后から百合子さまがいただいた大事な品ということですね。
だから瑶子さまは百合子さまは、私をいちばん信頼してくださっていると感激されていたということですね。まぁヒゲノ殿下が一番かわいがっていたのが彬子さまで百合子さまが一番かわいがっていたのは瑶子さまではってことですね。
瑶子さまが髪を金色に染められたのも対話が出来ない関係だから誰にも相談できない気持ちを髪型で表現したのかということですね。
男系男子による継承が慣習となっている皇室で、宮家当主が薨去したのち、親王妃が当主になることはあっても、娘が当主になった前例はないということですね。
だから寬仁さまが薨去された後、彬子さまが継がれるという計画もあったようですが、信子さまが絶対に認めようとせず、実現しなかったということですね。
皇室典範第11条:揺るがす当主問題の行方
でもそもそも皇室典範第11条第1項には寬仁さまが薨去された際に皇籍を離れる可能性についてもかいてあるわけですね。これについてチャットGPTに聞いてみました。
そうすると皇室典範第11条第1項には結婚によって皇室に入られた女性皇族が配偶者を亡くした場合に皇族が皇籍を離れる可能性を定めているわけですね。
婚姻または離婚による場合や配偶者の薨去による場合に直系尊属または配偶者の皇籍離脱に随伴する場合にやむを得ない特別の事由がある場合とあるわけですね。
これらの条件が適用される場合、皇籍離脱は皇室会議の議を経て定めることになっているようです。配偶者の薨去と皇籍離脱については配偶者の夫が薨去した場合ですね。
この場合に皇籍離脱の可能性が法律上規定されているけども、自動的な皇籍離脱ではなく、皇室会議の議を経る必要があるということですね。
だから結婚によって皇室に入られた女性皇族は、夫を亡くした場合でも皇族の身位を保持し続けることが可能ということですね。そして皇籍を離れるかどうかは、当人の意思や、皇室全体としての状況、皇室会議での判断に委ねられるということですね。
このやむを得ない特別の事由と皇籍離脱は、具体的な状況に応じた解釈が必要な文言でこの文言が適用されるケースは非常に限定的で、たとえば皇室の義務を果たせない状態や、個人の強い希望、社会的状況の変化などが考慮される場合があるということですね。
単に配偶者が亡くなっただけでは「やむを得ない特別の事由」として認められることは少なく、皇籍離脱は当人の意思を含め、慎重に判断されるということですね。
皇籍離脱に関しては結婚によって皇室に入った女性皇族が夫を亡くした場合、皇籍を離れることが義務ではないということですね。
皇室会議の議論や本人の希望に基づいて、皇族としての身分を保持することも可能で逆に、本人の意思が尊重され、皇籍を離脱して一般人となる選択肢もあるということですね。
だから結婚で皇室に入られた女性皇族は、配偶者が薨去した場合でも、やむを得ない特別の事由がない限り自動的に皇籍を離れることはないということですね。
皇籍離脱は本人の意思や皇室会議の決定によるものであり、その選択肢は法律に基づいて慎重に判断されるということですね。
まぁ法律というよりも皇室典範に基づいてということですね。そういう意味では信子さまも寬仁親王が亡くなった時も別居して療養中だったわけですね。
だからやむを得ない特別の事由として皇室会議で皇籍を離脱することも可能だったわけですね。それをせずに皇室に留まられたわけですね。
皇室を離れた方が自通な生活は出来ますが皇室に留まられたわけですね。信子さまとしたら皇室を離れても麻生太郎さんの妹さんでお金に困ることは無いので金持ちで自由になることも出来たわけですね。
でも仲が悪い彬子さまと瑶子さまと一緒に皇室に残られることを選ばれたわけですね。さらに寬仁親王家の当主を彬子さまにすることに猛反対したわけですね。
まぁ宮家当主に関してもいろいろルールが曖昧ですよね。慣習がないから無理ではなくて別にいいんだけどもというルールなんでしょうね。宮内庁は基本的にノータッチだから勝手に決めて最終報告だけ教えてという感じでしょうね。
宮内庁は口を出すと将来の天下りに悪影響を与えるだけでメリットゼロでデメリットしかないですからね。ただ彬子さまは将来、三笠宮家はどうなるのかといった問題に直面していたということですね。
彬子さまは11月4日に放映されたNHKの特集番組『話題の肖像 ~ニュースなあの人を追ってみた~「あるプリンセスの素顔」』に出演されているようです。
皇族が密着取材を受けるのは非常に珍しいことでしたが、彬子さまとしてはご自身の活動を知らしめるだけではなく、存在感を示す必要も感じられていたのかもしれないということですね。
元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司氏は今後の展開について寬仁親王薨去後、ご家族での話し合いがまとまらず、当主が決まらなかったということですね。
それで結局、お三方そろって三笠宮家に合流されたという経緯があるわけですね。だから今回もすぐには結論が出ないかもしれないということですね。
ただ彬子さまが寬仁親王の葬儀の喪主を務められたわけですね。それで三笠宮さまの葬儀でも喪主代理を務められたわけですね。そして今回、百合子さまの葬儀でも喪主を務められることになったので三笠宮家の祭祀を担われる実質的な当主といえるということですね。
宮家の継承について法律上の規定はないけども皇室経済法には独立の生計を営む親王妃や独立の生計を営む女王という規定もあるようです。
だからお三方が一つの宮家に入るのではなく、それぞれ独立した家をかまえられる可能性もあるということですね。つまり皇室経済法の規定では彬子さまや瑶子さまも、それぞれ独立の生計を営む女王として当主になることは可能なわけですね。
まぁこれが現在の三笠宮家が寬仁親王妃家や三笠宮家または彬子女王家や瑶子女王家といった3つの宮家になる可能性もあるわけですね。
これはお三方と宮内庁が納得し、天皇陛下のご了承を得た後、皇室経済会議で議決されれば実現するということですね。
ちなみに皇室経済会議には皇族は含まれていないようです。皇族議員選挙があるのにこういうのにも皇族は口を出せないんですね。
まぁ皇族議員も秋篠宮さまですけどね。ただいろいろ問題があって現在、信子さまは旧宮内庁長官公邸で生活されていて13億円かけて改修工事が行われることが発表されているわけですね。
そして瑶子さまは三笠宮東邸で今後も生活されることになるだろうし、彬子さまの東京での新しい邸宅も必要となるということでうね。
だから信子さま、彬子さま、瑶子さまがそれぞれ邸宅を持たれることになる可能性もあるということですね。いろいろとややこしいですね。
当主問題だけではないんですね。やはり一番の問題は宮内庁でしょうね。皇族も信子さま、彬子さま、瑶子さまはそもそも人間なわけですね。
だから喧嘩しない可能性はゼロではなかったわけですね。この喧嘩をした時にほったらかすのがベストなのか仲介に入って仲直りさせるべきなのか考えなくてもわかりますよね。
宮内庁というのはこういうときにどうすべきかチャットGPTに聞いてみました。そうすると、宮内庁は慎重かつ中立的な立場で対応することが求められるということですね。
皇族間の関係性が円滑であることは、皇室の公務や国民との信頼関係に直接影響を及ぼすため、まずは関係修復のための支援ですね。
非公開の話し合いの場を調整で対立した皇族同士が互いに意見を共有し、理解を深めるための場を設けるということですね。
必要に応じて、信頼できる中立的な調停者でこの場合は宮内庁長官や侍従長などを立てるということですね。そして意見の整理と調整で双方の意見や立場を冷静に整理し、共通の目的や妥協点を見つける手助けを行うということですね。
そりゃ両方ともどちらかの意見が100%正しいなんてことは無いですからね。交通事故も片方が停止中ではなくてほんの少しでも動いていたら10対0にはならないですからね。
さらに公務への影響を最小限にするということで公務や行事をスムーズに進行で対立が公務に影響を及ぼさないよう、スケジュールや役割分担を見直すということですね。
そして必要であれば、個別での公務参加を増やすことで緊張を回避するということですね。さらに公務中の振る舞いの指導で表向きの皇族の姿が国民に不安を与えないよう、公務中の振る舞いについて助言するということですね。
まぁ紀子さまと佳子さまが一緒の公務で一度も顔を合わせないとかそういうのが不自然ですからね。それとプライバシー保護ですね。
メディアへの漏洩防止で皇族同士の不和が報道されると国民の信頼が揺らぐため、内情が外部に漏れないよう情報管理を徹底するということですね。
まぁもう手遅れで漏れまくっていますけどね。そして冷静な広報対応で必要に応じて、公式コメントで冷静かつ中立的な説明を行い、過度な憶測を防ぐということですね。
これは週刊誌などの報道に苦言を呈したりそういうのは美智子さまの記事にしかこれまで反論してこなかったですからね。
それと専門家のサポートで心理的サポートの提供として必要に応じて、皇族が精神的なサポートを受けられる専門家を紹介するということですね。
そして適切な助言で歴史的、伝統的背景を考慮しながら、皇族同士の対立を円滑に解消するための助言を提供するということですね。
確かに精神的なサポートの職員はどれぐらいいるんでしょうね。そして長期的な視点での対策で日常的なコミュニケーション促進で皇族間の連携や日常的な交流を深める取り組みを支援するということですね。
そして年中行事や家族行事を通じて自然な形で関係性を築く機会を増やすということですね。さらに教育や訓練の見直しで皇族に対して、対話や問題解決のスキルを養うための教育機会を提供ということでこれは難しそうですけどね。
ただ話し合いの場は必要ですね。宮内庁はあくまでも皇族を支える立場にあり、内情を表に出さず、冷静に状況を管理することが最も重要ということですね。
不和がエスカレートする前に早期に対応することで、皇室全体の調和を保つ努力が求められるということで確かに初動ですね。
最初にほったらかしたから話し合いのタイミングをなくしている感じですね。それを宮内庁がやらなければいけなかったわけですね。
なんかネットでは彬子さま一人が悪いことになっていますが個人的には全員に問題があったのだと思いますけどね。信子さまも百合子さまから手紙やFAXをもらって無視していたのであればせめて百合子さまとは話し合うべきだったと思いますからね。
それに一番の問題はやはり宮内庁ですね。もし彬子さまが悪い人間とつるんでいるのであればそれも宮内庁が一番悪いですからね。
それにしても天皇皇后両陛下を支えるのも皇族の任務でもあるし皇族も両陛下と同じように日本国の象徴的な存在だから上手く解決すると良いですね。
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