紀子さまパワハラで皇嗣職大夫緊急退任!緊急人事で皇嗣職も依願免職
女性セブンに秋篠宮家の事が書かれていましたね。秋篠宮家の最側近だった加地皇嗣職大夫が交代したわけですね。
加地皇嗣職大夫は2016年から秋篠宮家の側近をしていたわけですね。約7年間秋篠宮家の側近として就任していたわけですね。
まぁ秋篠宮家が批判されまくった7年間でもありますね。最初はそうでもなかったでしょうが眞子さんと小室圭の結婚騒動からずっと炎上していたでしょうね。
それで秋篠宮家の国民からの信頼は完全になくなったわけですね。それで新たな布陣で信頼回復に努めるしかないということですがどうなりますかね。
1月30日付で秋篠宮家の事務や広報全般を担っていた加地皇嗣職大夫が退任して後任には吉田尚正氏が就任したわけですね。
加地皇嗣職大夫に関しては71歳で前から70歳ぐらいで退任かと言われていましたからね。それで後任として吉田氏も以前から言われていたので予定通りではありましたが時期の問題はありますね。
吉田氏も元警視総監ですが一度一般企業で顧問や社外取締役を経験してから2022年7月に秋篠宮家の相談役として御用掛を務めてきたわけですね。
元警視総監が御用掛に就任するのは異例のようです。だから当初から吉田氏は加地皇嗣職大夫の後任と言われていたわけですね。
加地皇嗣職大夫は穏やかな人柄だけどもイエスマンだからなんでも秋篠宮ご夫妻のいいなりだったわけですね。だから問題発生時も言いなりで炎上の対応も最悪だったわけですね。
それで実務能力の高い吉田氏には情報を適切にコントロールする役割が期待されるということですね。
加地皇嗣職大夫の前職も秋篠宮家を筆頭に宮家全体を統括する宮務主管だったようですね。だから宮内庁で関わっていたわけですね。
つまり小室圭と眞子さんが交際していた時ですね。だからこの時に小室家が抱えている金銭トラブルを把握していたらここまで炎上することもなかったわけですね。
ちなみに眞子さんが複雑性PTSDの病気を公表した時に加地皇嗣職大夫は涙を流していたようですね。まぁそりゃ診断書もないしなんで俺が国民に大嘘をつかなければいけないんだってさすがの加地さんでもイエスマンの自分がむなしくなって涙を流したようですね。
それで眞子さんの結婚会見ではなぜか多くの国民に喧嘩を売って笑顔なしの会見だったわけですね。本来は花束も会見場に用意しますがそれもなかったわけですね。
婚約内定会見ではしょぼい花束が用意されていましたが結婚会見ではそのしょぼい花束すらなかったわけですね。
そして結婚から4ヶ月後に今度は悠仁さまの盗作作文が発覚したわけですね。悠仁さまの小笠原諸島を訪ねてという作文で佳作をとりましたが作文の一部がガイドブックの文章に酷似していたり他にもいろいろパクリの箇所が発覚したわけですね。
例えば三つのWの例えではWave(波)、Wind(風)、
Wing(翼)となっているのが波(Wave)と鍵かっこの位置が前に来るか後に来るかだけで完全にコピペなわけで単なるコピペよりも悪質なわけですね。
それがご指摘に感謝しますとして主催者に修正させたわけですね。募集には後からの訂正は受け付けないと書かれていたのに受賞作品に関しては対象外という謎のルールを作って訂正させたわけですね。
普通は受賞者に関してはもっと厳しルールで学校側に講義して退学処分とか停学処分とかにしてもらったりしますよね。
それが受賞したままで図書カード10万円分もあげようかって感じですからね。眞子さんの炎上から悠仁さまの炎上になって次は佳子さまも御仮寓所に一人暮らしで炎上したわけですね。
宮内庁からは年度内にご一家で引っ越しをされると言ったのにまるで佳子さまが御一家の中に含まれず隠し子のような感じの扱いをしたわけですね。
それで加地皇嗣職大夫が昨年6月に正式に佳子さまの一人暮らしを認めたわけですね。ただその理由の説明で2019年に改修工事が始まったけどもその頃には秋篠宮邸には経費削減のためにもともと佳子さまと眞子さんの私室を用意しないことになっていたと説明したわけですね。
最初から決まっていたら昨年2月に説明できたはずなのに隠蔽したような印象が消えないということですね。
まぁイエスマンの加地皇嗣職大夫だからどうせ秋篠宮ご夫妻に言わされて経費削減の為とかバカみたいな言い訳をそのまま発言したのだろうということですね。
まぁその馬鹿な発言に疑問を持っていても追及せずにそのまま皇室記者が報道したということですね。
ちなみにある時から加地皇嗣職大夫が会見する時には秋篠宮ご夫妻が一字一句チェックされるようになったようですね。
紀子さまは求める水準が高くて全てチェックして時に厳しく叱責されることもあったようですね。加地皇嗣職大夫も退職の意思を周囲にこぼしながらも耐え忍んできたようですね。
まぁ秋篠宮家の職員はすぐ辞めることで有名だからそんななかで紀子さまも加地氏の忍耐力はかってこらたようですね。
ただ年齢的な面もあるし退くということですがそれでもしばらくは御用掛として秋篠宮家にお仕えするということですね。
まぁただ辞任する時期としてはちょっと1月末ということでいがいですね。通常は国会が開催されていない時期に交代したりするようです。
まぁ国会が開会されてからすぐということでちょっとギリギリまで粘った感じがしますね。実は昨年12月19日にも宮内庁の人事が発表されています。
池田宮内庁次長がが退任して黒田次長が就任しています。天皇陛下は1960年2月23日生まれですがこの黒田次長は同じ年齢で2月20日生まれと3日違いです。
それでこの人も一度総務事務次官まで上り詰めますが辞職してから野村証券で顧問をしてから宮内庁次長に就任するわけですね。
だから結構異色の経歴ですが吉田尚正も天皇陛下と同じ年で1960年生まれですね。ちなみに10月26日生まれです。
10月26日は眞子さんと小室圭が結婚した日ですね。なんか小室圭と眞子さんの結婚記念日が毎日この吉田氏の誕生日ということであまりめでたい感じはしないですね。
ただいろいろとこの人も凄い人で東京大学法学部を卒業していますが高校の時はクイズグランプリの高校生大会に出たりとか在アメリカ日本大使館で働いていたり福岡県警の頃には本部長として工藤会を壊滅ということで指揮を執ったわけですね。
ただ2018年に退官していたわけですね。それでトヨタ自動車の顧問とかいろいろ顧問や理事を務めて宮内庁御用掛になったわけですね。
秋篠宮ご夫妻の海外訪問はコレ!
まぁ本来であれば昨年12月19日に宮内庁次長が交代するタイミングで発表する予定だったんでしょうね。
でもこの吉田尚正氏の経歴を見ても最初は秋篠宮家に仕える予定なんてなかったんでしょうね。ただ秋篠宮家を担当したがる人がなかなかいなかったから探しに探して吉田氏に声が掛かったのかもしれませんね。
みんな上り詰めたエリートは秋篠宮家の側近にはなりたくないというのが本音でしょうね。ちなみに西村宮内庁長官も警視総監でしたが第90代警視総監で吉田氏は94代警視総監のようですね。
だからこれは先輩後輩が逆転しなくて良かったですね。70歳を超えて本人から退任の申し出があったということですが71歳を11月に超えていますからね。
引継ぎをしている中でやりたくないなぁとかいろいろ吉田さんも感じていたかもしれませんね。でも加地皇嗣職大夫も逃がさないぞって感じで諦めろと言って吉田氏が就任したのかもしれませんね。
まぁそれで交換条件としてしばらくは何かあった時のために御用掛かりとしているのでと納得させたのかもしれませんね。
まぁ普通は70歳の段階で交代するけど就任する時期も宮内庁御用掛になったのは2022年7月だったわけですね。それで11月には70歳になっているからさすがにそのタイミングでは引継ぎが無理ですからね。
逆に言うとそのぐらい加地皇嗣職大夫の公認候補がいなかったのでしょうね。それで必死に探してきて吉田氏を宮内庁御用掛にして1年と半年というタイミングでの交代劇になったわけですね。
まぁもう少し粘りたかったというのが本音でしょうね。いつ交代しても一緒なのかもしれませんが今年は悠仁さまが成年皇族で大学進学の話題もあるし佳子さまの結婚の話題もありますからね。
ただ紀子さまの体調不良もいろいろ考えさせられますね。悠仁さまのバドミントンの試合がある2日前に体調不良を発表して注目を紀子さまに集めてということも考えられるし加地皇嗣職大夫を引き留めることが出来なかったというのもあるかもしれませんね。
もしかすると体調不良と言ったらこんな私が大変な時に退任なんて発表できませんよねっていうパワハラにも思えますからね。
ある意味、紀子さまが最後の抵抗で加地皇嗣職大夫に体調不良と嘘をついてパワハラで辞めさせないようにしたのかもしれませんね。
それで国会が始まると基本的に退任できなくなるからそれまで粘ろうとしたのかもしれませんね。でもそれでも加地皇嗣職大夫は強行で退任を発表したのかもしれませんね。
まぁ本当にそうであれば工藤會壊滅作戦を指揮した吉田氏にもしかするとビビっているのかもしれませんね。それでなんとか加地を御用掛においているのかもしれませんね。
まぁなんとか吉田氏には期待したいですがどうなりますかね。
ちなみに秋篠宮家の皇嗣職宮務官がまだ辞めてまた入れ替わったようですね。雨宮さんという人が1月26日付で辞めて佐藤さんという人が就任したようですね。
これも1月25日付ということで1月26日が国会が開会された日だったのでギリギリのタイミングで辞職した感じがしますね。
まぁ紀子さまの体調不良というかイライラとも関係しているかもしれませんね。無茶な要求に耐えられなくなったのでしょうね。
秋篠宮家の職員は令和になってから何人ぐらい犠牲になったんでしょうね。それにしてもラオス大使館で一等書記だった人ということでラオスに訪問を今度はするようですね。
2015年はラオスと日本が外交関係樹立60周年だから2025年はラオスに行くんですかね。昨年も外務省賓客として秋篠宮家を訪問していたようです。
しかも珍しく秋篠宮邸でラオス副首相兼外務省夫妻と会っていました。まぁ今年は皇嗣職大夫も変わるということでイエスマン出ないことを祈りたいですね。
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