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彬子さま信子さま三笠宮家継承無理『宮内庁ふざけるな』百合子さまの壮絶人生!天皇皇后両陛下が大分の海づくり大会でリンクコーデに絶賛

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海づくり大会大歓迎:素敵なリンクコーデ

天皇皇后両陛下が全国豊かな海づくり大会に出席されていましたね。大分市内の式典会場でお言葉を述べていましたが、実は大分が第一回の開催場所だったんですね。

今回は第43回全国豊かな海づくり大会で普通だったら都道府県の順番に開催されるけども海づくり大会だから周りに海がない県もありますからね。

ちなみに海がない都道府県は8県あるようですね。栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良の8県は海がないわけですね。

43年前の昭和56年に大分県で初めて開催されたようですね。大分には2018年にも国民文化祭きていたようですね。そしてSNSではたくさん両陛下の映像がアップされていましたね。

なかなか大分に皇族が来ることはあまり無いでしょうからね。皇族というよりもそんな有名人がくることがないですからね。

人口密度で言うと大分県は全国で33位のようです。とはいっても人口密度は1平方キロメートルに175人ほどしかいないわけですね。

ちなみに東京23区の人口密度は1平方キロメートルに1万5708人のようです。だからだいたい100倍ぐらいですね。一番人口が多い大分市でも人口密度は1平方キロメートルに947人です。

ちなみに大分の方の報道では初日の大分の沿道での奉迎は6800人ほどだったようです。そう考えると6800人が多いことがわかりますね。それにしても両陛下のリンクコーデも似合っていて素晴らしかったですね。

式典では大会の最優秀作文に選ばれた小学2年生の男児が、海の生き物を守るため生活で行っている工夫について書いた作文を朗読し、両陛下は男児を見守るような表情で耳を傾け拍手をおくられたようです。

そして両陛下は式典終了後退場前に作文を読み上げた男児に1分間ほど視線を合わせて声をかけられていたということですね。

ちなみに今回は別府市の港で天皇陛下と雅子さまはマコガレイとマダイの稚魚を放流したようですね。雨だったようですが大漁旗を掲げた漁船のパレードもあったようです。

ちなみに天皇皇后両陛下は、9日に到着して大分県で魚介類の稚魚などを育てる施設を視察されていたようですね。水産資源を保全するためことし7月に開設された施設のようですね。

魚介類の稚魚などを育てる県の施設でこれまでもあったようですが老朽化していて大分県が34億6000万円をかけて建設したようです。

緑色のLEDが魚の成長を促進するようですね。食欲を増進させやすくなるみたいです。そして水質や水温の管理がしやすい閉鎖循環式システムなど最先端の設備が導入されているようです。

屋外と屋内にあわせて118面の水槽が整備され、マコガレイ・クルマエビ・ヒラメ・ガザミの4魚種を卵から放流サイズに育てます。

ガザミって知らなかったですがカニの一種のようですね。まぁでも養殖というよりも放流の為に育てるということですね。

こんな施設もあるんですね。ちなみにこの放流した魚とかは自主的に禁漁して資源を管理していると話されていたようですね。

それで両陛下から地球温暖化とかが影響を与えているのかなどを質問されていたようですね。この施設で両陛下は、泳いでいる稚魚に餌を与えられたようですね。

まぁ百合子さまが体調の方も容態悪化と報じられて両陛下の四大行幸啓とタイミングが重なったので大丈夫かなと思いましたが今は静かに休まれているようですね。

でもなかなか食事も出来ないような状況だから退院も難しいそうですね。ただ両陛下が四大行幸啓で大分に行かれている間に何事もなく無事に帰京されて良かったですね。

即位されてからは初めての大分県訪問ということでやはり秋篠宮ご夫妻が訪問されるのと全然歓迎のされ方が違いますね。

まだ佳子さまは沿道に寄せ集めて歓迎されている映像とかありますが秋篠宮ご夫妻はあまり歓迎されている映像がないですからね。たぶん毎回猛スピードで通過するから沿道にも集めないのかもしれませんね。

三笠宮は継承無理:女性宮家が誕生

三笠宮妃百合子さまの容態が悪化して彬子さまが訪問先のイギリスから帰国されましたね。空港から百合子さまの入院先の聖路加国際病院へ直行されたようです。

百合子さまはもともと聖路加国際病院に入院中だったようですね。それで容態が悪化したということですね。7日に行った検査の結果、心臓や腎臓などの機能の低下が確認されたようです。

宮内庁によると、症状の急変ではなく、極めて高齢のため、全身の機能が低下していて食事や水は口にしておらず、一般病室で静かに療養されているようです。

今年3月に脳梗塞症と誤嚥(ごえん)性肺炎で入院されて8月にも軽い肺炎のため集中治療室に入ったけども9月には一般病室に移られていたわけですね。

だから8月に集中治療室に入ったばかりで3ヶ月後にもかなり危ない状況ということでやはり高齢ですからね。現在の皇室では最高齢ということですね。

彬子さまは7日にイギリスへ出発し、日本美術の研究機関が開催する国際会議に出席後にフランスも訪れ、15日に帰国される予定でしたが急遽帰国されたわけですね。

7日に出発で9日午前には帰国されていたのでイギリスではほとんど何も出来ていないでしょうね。それにしても3月に入院してから入院期間8カ月はずっと食事や水を口から摂取できない状態が続いていたということでもうそれがかなり症状が悪いこともわかるし今はかなり痩せているでしょうね。

百合子さまは大正12年6月4日生まれで高木正得(まさなり)氏の次女だったようです。つまり高木百合子として生まれたわけですね。

全然知らなかったですね。高木正得氏は昆虫学者のようです。今の東京大学大学院を卒業して昆虫学、寄生虫学を専攻していたようです。

そして1932年に補欠選挙で貴族院議員に当選したようです。この高木氏の弟が養子になって昭和天皇に仕えた入江侍従長のようです。

司法参与官も務めたようですが、公務の傍らチョウやカミキリムシを研究していたようです。ただ昭和初期には、秋田県の官民共有林の払い下げを巡って詐欺的行為を働いたようです。

ただ告訴は辛うじて免れて名古屋市に移住したといわれているようです。でも名古屋では生活に苦しくなって風船売りで生計を立てたこともあるようです。

戦後は財産税7万円余を払えずに自宅を物納したということで皇室の外戚だから逆に仕事探しに苦労したようですね。1948年7月8日に探さないでと置手紙を置いて失踪して11月1日に山奥で白骨死体となって発見されたようです。

まぁ自殺でしょうね。首吊りとは書いていませんがそれに近い状態で発見されたようです。自重またはモノの重さにより首が圧迫されることで、呼吸や脳の血流が阻害されなくなったということですね。

しかも昆虫採集用の青酸カリを持ち出して遺書も書いていたということだから最後は昆虫の餌になりたいと思ったんですかね。

貴重な研究資料だった蔵書や昆虫標本類を戦災でことごとく焼失したようです。そしてそれらを集め直すことが華族制度廃止で不可能になった悲しみと絶望が失踪の理由だったと妻は考えているようです。

まぁ百合子さまは戦争を経験している世代なわけですね。それだけで凄いですけどね。そして百合子さまは、昭和天皇の弟である三笠宮さまと結婚されて3男2女をもうけられたわけですね。

5人も子供を設けられたということでそれだけで凄い皇室に貢献されていますよね。ただ平成14年に三男の高円宮さま、24年に長男の寬仁(ともひと)さま、26年には次男の桂宮さまを亡くされたわけですね。

そして平成28年には三笠宮さまをなくされて三笠宮家の当主となられていたわけですね。多くの公的な役職からは退いていますが今年元日には、皇居などで新年祝賀の行事に臨まれていたわけですね。

まぁでも今年はずっと病院生活でしたからね。高齢で入院されたら理由はどうあれ5日で元気ピンピンで退院なんて出来ないのが普通ですからね。

百合子さまは危篤ではなく意識はあるようですね。入院後、食べ物や水を口からとれていないけども、ベッドから車椅子に乗り移るなどのリハビリは先週までは続けていたようです。

ただ百合子さまは水や食事をとらない状態が続いていて、現在は医師らが声をかけても、お休みになられているということでもう全身の機能が低下しているようですね。

まぁ百合子さまは現在101歳で容態が持ちこたえて回復されてもいつどうなるか分からないわけですね。そんな中でややこしい問題もあります。

それが三笠宮家はどうなるのかですね。これまで彬子さまが信子さまには絶対に継がせたくないとかそういう報道がありましたよね。

アレも実はそもそもおかしいわけですね。そもそも彬子さまも信子さまも三笠宮家を継承できないのではないかということですね。

これがかなりややこしくて通常は三笠宮家のお子さんとして男子が生まれてきたら独立の宮家を持たれるわけですね。

そこでヒゲノ殿下こと寬仁親王はどうだったかというと宮号を持っていないわけです。ヒゲノ殿下は三笠宮家の長男として生まれたわけですね。

でも宮号がないわけです。でも次男の宜仁親王(よしひと)は桂宮と宮号があるわけですね。そして三男の憲仁親王(のりひと)も高円宮と宮号があるわけですね。

でも長男のヒゲノ殿下だけ宮号がなかったんです。ウィキでも明記されていますが存命時は、結婚を機に独立の生計を立てていたけども、父の三笠宮崇仁親王(たかひと)の嗣子としていずれ三笠宮を継承する者とされていたわけですね。

だから宮号は賜らなかったわけですね。宮号は一般国民の氏のように同一戸籍内の家族すべてに適用されるものと異なり、当主のみに与えられるものだということですね。

だから当主以外の皇族に宮は使われないし正式な呼称ではないわけですね。よく悠仁さまについても秋篠宮悠仁と報道するところもあるけどもそれは間違いなわけですね。

ちなみに悠仁さまの論文は秋篠宮悠仁という名前で提出されていますがそんな人物は存在しないわけですね。だから何か盗作だろとか言われた時に秋篠宮悠仁なんて人物は皇族にいませんと逃げれるわけですね。

誰かなりすましの人物が秋篠宮悠仁で赤坂御用地のトンボ相をかいたのであって悠仁さまは関わっていませんと逃げれるわけですね。

ちなみに紀子さまも秋篠宮紀子で結核論文で博士号を取得していますがあれも普通に学会で発表されたのをまとめただけで何もやっていないので追及されたら名前を勝手に使われたと逃げれるわけですね。

ちなみに2001年12月に行われた彬子さまの成人に伴う記者会見において全国紙が彬子女王を三笠宮寬仁さまの長女彬子さまと記載したようです。

これについて寬仁親王は自身が総裁を務める日本職業スキー教師協会の広報誌の「総裁コラム」において、私は、三笠宮では無く、寬仁親王であり、彬子は身位が女王で、敬称は殿下でなければなりませんと記されていたようです。

だから正しくは、寬仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下になるべきと記されていたようです。そしてまた別の会報でも冗談を交えつつ、三笠宮寬仁親王でなく寬仁親王が正しいと書いているようです。

ちなみに1947年10月14日に11宮家51名の旧皇族が離脱する前までは宮家の数が多く、現在の寬仁親王のように「嗣子であるためあえて宮号を受けていない親王・王」を有する宮家が複数あったようです。

だから信子さまの日程を見ると寬仁親王妃殿下となっていました。そして久子さまについても高円宮妃殿下になっていました。

だから瑶子女王殿下と承子女王殿下と他にもなっているわけですね。つまり信子さまは三笠宮という宮号が明記されていないのでもし仮に百合子さまがなくなってもどうなるかですね。

もともとはヒゲノ殿下も三笠宮本家からは独立の生計を営んでいて寬仁親王が当主を務める寬仁親王家として他の宮家に准ずる扱いを受けていたようです。

それでヒゲノ殿下がなくなって当主不在の状態が続いていたけども2013年6月10日に宮内庁は、ヒゲノ殿下がなくなった時点で、親王家を廃止すると発表したようです。

通常だったらヒゲノ殿下がなくなれば信子さまが当主を継承しますが、長年別居が続いていて、ヒゲノ殿下がなくなって2人の娘たちと同居していなかったのでこれまでは寬仁親王邸という名称も、三笠宮東邸と改称されたようです。

全然知らなかったですね。百合子さまがなくなれば普通に信子さまと彬子さまのどっちが三笠宮家の当主だろうと思っていましたが、普通に考えるとどっちもなれませんね。

週刊誌とかでは彬子さまが信子さまには三笠宮家を継がせたくないからと書かれたりしていましたが本来であれば三笠宮家ではなくて寬仁親王家の当主になるべきだったわけですね。

それがなれなかったわけですね。ヒゲノ殿下がなくなって2人の娘たちと同居していなかったので寬仁親王邸という名称がありましたがそれも三笠宮東邸と改称されたわけですね。

つまりここで彬子さまが野望を持っていれば寬仁親王家当主に彬子さまがなっていたわけですね。だから彬子さまとしたら寬仁親王家をなくしてしまった事実について信子さまに怒っているのではないですかね。

たあ怒るべきは信子さまではなくて皇室を守らずになくすという選択をした宮内庁だと思いますけどね。あそこで信子さまが駄目と判断するなら当主は彬子さまとするのか信子さまと話し合って決めるべきだったわけですね。

ちなみに現在国会では女性宮家を創設するか検討されていますがすでに女性宮家は創設されていまっした。それは高円宮家です。

高円宮憲仁親王(ともひと)が亡くなられて久子さまとの間には男の子が生まれなかったわけですが現在は久子さまが高円宮家に残られて当主を務めているわけですね。

そしてお子様は承子女王ですね。つまり女性だけの宮家なわけですね。これは女性宮家なのか男性から女性に当主が継承したといえるわけですね。

つまり男性から女性に継承が認められているので秋篠宮家を佳子さまが継承されても不思議ではないわけですね。

そもそも現段階で百合子さまがなくなられた時にどうなるのかとかそういったことが話し合われていないことが問題なわけですね。

百合子さまがなくなられた時に信子さまや彬子さまは100%三笠宮家の当主になれないのかとかそういったことがわからないわけですね。

宮内庁がそもそも信子さまはヒゲノ殿下と喧嘩していて別居していたから寬仁親王家当主にはなれないとして寬仁親王家を廃止すると発表する権利を持っていたのかということですね。

宮内庁にそんな権限があるのかということですね。高円宮家は久子さまがそのまま当主になったので宮内庁が女性の宮家を作る権利も潰す権利も持っているわけですね

2013年6月10日に宮内庁が寬仁親王家を廃止すると発表した時に誰も国会とかでは文句が出なかったんですかね。まぁそれもおかしいですね。

離婚していたならわかりますが一般の家庭だと仲が悪くて別居していても遺言とかでお金を渡さないとしていても法的には受け取れたりとかしますからね。

だから仲が悪くても本来ならば寬仁親王家の当主は信子さまになるべきだったわけですね。そしてその時に廃止にするのではなくて彬子さまが寬仁親王家の当主とすることも出来たわけですね。

でも廃止にしたということで百合子さまがもし亡くなられた時に関しても信子さまや彬子さまが当主として継承しにくくなるわけですね。

まぁそれにしても瑶子さまや承子さまや信子さまのお見舞いの報道がないですね。お見舞いは既に行ってるけど報道がないだけですかね。

彬子さまは緊急帰国したからお見舞いは当然わかるけどもなんかこういうのも順番とかあるから承子さまは行けなかったりとかあるんですかね。

まぁ緊急帰国して見舞いしているのに何も証拠を示せない国家からの圧力を回避して仕入れた独自情報で文句を言ってる人も出てくるんでしょうけどね。

それにしてももう男性から女性の当主に継承もされているし天皇も女性天皇に9割が賛成しているし直系長子に多くの国民が納得すると思いますけどね。

いろいろと皇室に関してはしっかりしたルールがないことが多いし国会議員はもめやすいから扱う人がいないしもう百合子さまに関しても女性皇族の結婚に関しても時間がないわけだから国会議員も真剣に議論してほしいですね。

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