皇族初の暴露系?信子さまとの対立裏側
百合子さまが101歳で薨去されました件でAERAにも記事が書かれていましたね。一般の納棺にあたる儀式お舟入(ふないり)が11月16日に三笠宮邸で営まれたわけですね。
そして26日に文京区にある豊島岡墓地(としまがおかぼち)で本葬にあたる斂葬(れんそう)の儀が執り行わられるわけですね。
そして宮内庁は孫の彬子さまが喪主を務めることも発表したわけですね。ただ信子さまは恐らく参列されないのでしょうね。
これまでも百合子さまの長男寛仁さまや三笠宮さまなど、これまでの三笠宮家の皇族の死去に伴う一連の儀式に参列していないわけですね。
信子さまは娘さんたちと長年関係がかなり悪いわけですね。だからこれは三笠宮家の新当主にも大きな問題になりそうだということですね。
16日のお舟入の儀式は、た三笠宮邸で彬子さまと瑶子さま、久子さまと承子さまら親族が見守る中、百合子さまのご遺体がひつぎに移されたわけですね。
そして遺体に別れを告げる拝訣(はいけつ)が営まれ愛子さま、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さま、華子さまらが加わり、お別れの拝礼をしたわけですね。
ただ天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻は三笠宮家で行われた一連の儀式には参列せず慣例により儀式の前の弔問に訪れたわけですね。
そして三笠宮家の一員であるにもかかわらず、参列していなかったのが、百合子さまの長男の妻である信子さまということですね。
ちなみに信子さまは前日の15日、弔問のために車で赤坂御用地に入ったようですが外から車で訪れたということですね。信子さまは2009年以降、家族と別居しているわけですね。
弔問には訪れていたんですね。ただ百合子さまが容態悪化と報じられていて孫の彬子さまは訪問先の英国から急遽帰国し見舞いに訪れていたわけですね。
久子さまも奈良県や米国訪問を中止するなどして見舞いに訪れていたわけですね。でも信子さまとご家族の断絶は続いたままで百合子さまのお見舞いに訪れた姿は確認できていないようです。
これがよくわからないですね。娘さんと時間をずらすなりして見舞いに行けそうですがこれは彬子さまが拒否したのではなくて信子さまが行かなかったんですかね。
百合子さまからは手紙やFAXで信子さまと話し合いをしようとしていましたからね。それでも信子さまが拒否したように報じられていましたよね。
彬子さまや瑶子さまと仲が悪くても百合子さまとは話し合いも出来そうですがそれも出来なかったんですかね。話し合いが出来ないから見舞も行けなかったのか行かせてもらえなかったのかどっちなんでしょうね。
信子さまは1980年11月にヒゲの殿下こと寛仁さまと結婚されたわけですね。当時は長年好意を寄せ続けた寛仁さまが、7年越しの恋を実らせたと、熱愛ぶりが話題になったようです。
信子さまは1955年生まれだから25歳の時で7年越しだから18歳の時に結婚しようと思っていたんですかね。その頃に結婚していたら子供ももっとたくさん産んで男の子も生まれていたかもしれませんね。
ただ信子さまは2004年以降、気管支ぜんそくによる入退院を繰り返し、軽井沢での療養生活に入られたということですね。それから2009年秋に宮内庁が宮邸にお戻りになると、ストレス性ぜんそくが再発する恐れがあるという主治医の見解を公表したわけですね。
そこから信子さまは入院先から宮邸に戻らず、宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸で暮らし始めたわけですね。
それで寛仁親王家では寛仁さまと彬子さま、瑶子さまの3人が生活するようになったわけですね。それから戻ることなく寛仁さまは長い闘病の末に亡くなったわけですね。
亡くなるまでの数年は信子さまが病院へ見舞いに訪れることはなかったようですが息を引き取る直前にようやく足を運んだようです。
でもすでに寛仁さまは意識がない状態だったようです。でもまだ意思疎通できたころの寛仁さまの意向や周りの反対から、信子さまは病室に入れなかったともいわれていわけですね。
なんか彬子さまが拒否したかのような記事が多いけどもここに関しても寛仁さまの意向と廻りの反対ということでよくわからないですね。
ただ寛仁さまの葬儀の喪主は彬子さまだったわけですね。信子さまではなく娘が喪主となった理由について、宮内庁は寛仁殿下のご意向と答えていたようです。
まぁそれでいうと今回の百合子さまが薨去されたことに関してはもし百合子さまのご意向があれば信子さまではなかったにしても彬子さまでもなく瑶子さまだったのではないですかね。
彬子さまはずっと京都にいましたからね。そしてずっとそばにいたのは瑶子さまだから大事にされていた品をプレゼントされたと記事になっていましたよね。
だからもし百合子さまのご意向があれば彬子さまより瑶子さまだとおもいますけどね。まぁこれはその前からも彬子さまと瑶子さまが不仲とも言われていますからね。
ただ寛仁さまが亡くなって1年が経過しても当主が決まらず、寛仁親王家は消滅したわけですね。それで誰も当主が決まらないから百合子さまを当主とする三笠宮家に合流したということですね。
まぁ彬子さまが当主となることに信子さまが反対したとも言われていますけどね。そしてこの寛仁親王家をめぐる混乱については、彬子さまが文藝春秋でも気持ちを綴られているわけですね。
そこで彬子さまは信子さまには三笠宮ご夫妻にお詫びしてほしいと触れているわけですね。寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していたけどもその要因が父と母と長年にわたる確執ということですね。
まぁ寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していたということですがその原因は寛仁さまにもあると思っているんですかね。
でも孤立したのは秋篠宮家も原因にあると思いますけどね。わずか100mほどの場所に家があるご近所なわけだし秋篠宮家のお子さんの帯親は三笠宮さまということですからね。
でも孤立ってことは揉めているのわかっていても付き合いはなかったんでしょうね。まぁ秋篠宮さまはヒゲノ殿下の悪い部分の影響は受けていそうですけどね。
それに彬子さまは寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた原因の多くは信子さまに有ると思っているようですが個人的には寛仁さまに有ると思いますけどね。
皇族は何も言及できない立場なわけですね。その中で暴露系ユーチューバーのガーシー的存在だったのがヒゲノ殿下ですね。
ラジオDJとかもやっていて孤立というよりも絡んだらラジオとかでこの皇族がこんなこと言ってたとか言われちゃうかもしれないから他の皇族からしたら怖い部分もあったかもしれませんね。
ただ孤立に関してはヒゲノ殿下が亡くなってからも続いていたということですね。信子さまは父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていたということですね。
それで私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていないということですね。父が亡くなってからも、何度も話し合いをと申し出たけども代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであったということですね。
でもここの内容を読まずに彬子さまが信子さまに詫びろというのはひどいという人がいますが信子さまが10年以上話し合いに応じないから文春という月刊誌を通じてしかメッセージを信子さまに届けることができないわけですね。
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これも一方的に彬子さまが悪者になっていますがそれも違うと思います。一番悪いのは宮内庁だと思います。百合子さまは信子さまに手紙やFAXを出したようですからね。
でもそれを宮内庁が責任をもって信子さまに渡さなかったわけですね。拒否されたらそうですかって感じで突き返したわけですね。
そこで自分で判断できないなら両陛下に相談してこういう状況ですけどとか宮内庁は皇族を守る立場だからそのぐらいしなければいけなかったのではないですかね。
彬子さまから信子さまに話し合いを申し出ていたのなら信子さまが拒否してもなぜ話し合いの場を設けようとしなかったんでしょうね。
彬子さまが仮に一方的に悪いとしても話し合いをしなければ解決しないわけだから彬子さまが話し合いを申し出ているならば宮内庁も信子さまから断られても手紙でやり取りなり話し合いの場を設けるべきだったのではないですかね。
ちなみに病気もあるしどうすべきだったかチャットGPTに聞いてみました。そしたら非常に複雑でデリケートな状況だと感じるということですね。
特に、寛仁さまの死という大きな喪失が、家族間の関係にも影響を及ぼしたことは、避けがたい現実だったのかもしれないということですね。
そして彬子さまから話し合いの申し出があったにもかかわらず、それが拒否されたというのは残念なことということですね。
このような状況では、個々の感情や立場の違いが絡み合い、話し合いの場を設けること自体が非常に難しくなることが多いということですね。
でも宮内庁が仲介役として適切なサポートを行うことは、確かに必要だったのではないかと思うということですね。特に皇族方の間での関係修復が遅れることで、公的な活動やご自身の健康にまで影響を及ぼす可能性があるということですね。
まぁ一般参賀とか両陛下にも迷惑をかけますからね。だから宮内庁が積極的に介入することで、当事者間の溝を埋める手助けをし、少なくとも「話し合いの場」だけでも設けることができれば、状況は少しでも改善されたのではないかということですね。
これは現在進行形ですね。もちろん、プライバシーや皇族方の意思を尊重する必要はありますが、家族間の対話が行われないまま時間が経つと、誤解や感情のしこりが深まる恐れがあるということですね。
ご家族としての絆を取り戻すための第一歩は、話し合いのきっかけを設けることだと思うということですね。信子さまは公務に復帰してるわけだし宮内庁は話し合いの場をもっと積極的に働きかけるべきだと思いますけどね。
ちなみに彬子さまは信子さまについて、公務に復帰するのであれば、三笠宮両殿下にお詫びとご報告をしてほしい、ともつづっていたわけですね。
それで2016年の三笠宮崇仁さまの葬儀でも、高齢の百合子さまに代わり、彬子さまが喪主代理を務めたわけですね。信子さまは、三笠宮さまが亡くなる1カ月ほど前に、病院を訪ねたけどもこのときも面会はできていないようです。
これは百合子さまが拒否しているんですかね。彬子さまが会わせなかったんですかね。それとも三笠宮さまの意向ですかね。
ちなみにこの件も「面会できない状況だとご存じのはず」と、三笠宮家側は不信感を募らせたとなっているようですね。
ちなみにこの年の夏には、信子さまと三笠宮家の間で、あるトラブルも起きていたということですね。彬子さまも瑤子さまも不在中だった旧寛仁親王邸の三笠宮東邸を、信子さまが訪問し弁護士と鍵の専門業者を連れてきていたということですね。
宮邸の職員は信子さまに「扉は開けられません」と繰り返したが、鍵の専門業者が通用口の鍵を開けて信子さまは邸内に入り、荷物をまとめて宮邸をあとにしたということですね。
それで事情を知る人物によれば、この騒動で信子さまはご自身の正当性を主張されていたようだということですね。そりゃ自分の家ですからね。
普通に一般家庭でも二度と家の敷居をまたぐなと喧嘩しても戻ってきても不法侵入にはならないでしょうからね。ちなみに当時、信子さまは、ご自身に年間1525万円が支給されている皇族費について月額10万円しか受け取っていないと訴えていたようです。
だから日常の費用は三笠宮東邸に請求していたようです。信子さまは月額10万円では、新しい物品をそろえることができない。自分の荷物を取るために鍵を開けざるを得なかったと正当性を主張されていたということですね。
なんかこの主張だと信子さまも会話する気はありそうなんですけどね。でも自分の荷物を取るってことは公務に復帰するってことだからとか会話が成り立っていなかったんでしょうね。
だからやはり宮内庁が一番問題ですね。宮内庁も頭を悩ませているようですが解決させようとしていませんからね。まぁ信子さまと彬子さま、瑤子さまそれぞれが仲が悪いようですからね。
でも三笠宮家の当主問題があるわけですね。戦後の皇室では宮家の男性皇族が亡くなった後は、勢津子さま、喜久子さま、久子さま、そして三笠宮家では百合子さまが当主を務めてこられ妻である宮妃以外の女性皇族が当主になった例はないということですね。
ただ元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司氏によると当主について法律で定められた規定はないということですね。でも生活には資金が必要で、それぞれの皇族には、皇室経済法に基づいて、品位保持のための皇族費が国から支給されているということですね。
この独立の生計を営む親王を基準に、妻は2分の1、子どもは減額されるとあるわけですね。だからその家の生計の中心になる皇族がいわゆる当主ということですね。
皇族費の額は妻は2分の1、子どもは減額だからどうなるか分かりませんがまずはご家族と宮内庁が話し合い、どなたが当主になるかの合意が必要ということですね。
それでその結果を天皇陛下にご報告し、了承が得られれば、内閣総理大臣や衆参両院議長ら8人で構成される皇室経済会議で話し合われて決まるということですね。
それで皇室経済会議で『独立の生計を営む皇族』として認定されれば、その皇族はいわゆる宮家の『当主』となるということですね。
皇族の身位によって支給される皇族費の額面に関しては増減はあるけども独立の生計を営む皇族については、この皇室経済法の6条2項で皇族が初めて独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議の議を経ることを要するという規定があるだけのようです。
そして当主問題ですがもともと三笠宮家については、長男の寛仁さまが継承することを想定していたから寛仁さまは宮号を受けないまま寛仁親王家として独立した生計を営んできたわけですね。
でも父より先に亡くなって本来であれば信子さまが当主になるはずでしたが寛仁親王を含め三笠宮家の皇族のお見舞いにも葬儀に伴う儀式にも参列できていないというか拒否されているということですね。
まぁここではそんな信子さまに当主が務まるのかということですがそもそも寛仁親王を廃止して三笠宮家に合流というのが異例中の異例ですからね。
誰が三笠宮家の当主になっても異例中の異例ですね。親王妃以外の女性皇族が当主になった例はないけども法律上は内親王、女王も独立の生計を営む皇族になることが想定されているということですね。
内親王があるってことは愛子さまも当主になれるわけですね。これは宮家当主ではなくて敬宮家なのか愛子内親王家になるのかわかりませんが独立した生計を営む皇族になれるということでしょうね。
これは内廷皇族のままとしても出来るのではないですかね。そしたら宮内庁の日程に愛子内親王家の愛子さまの公務が独立して明記されるのではないですかね。
まぁ三笠宮家に関しては信子さまも彬子さまも瑶子さまも誰がなっても異例だけどもなれるということですね。そして三笠宮家の3方の女性皇族は、3つの宮邸をお持ちだということですね。
百合子さまがお住まいだった三笠宮邸に旧寛仁親王邸である三笠宮東邸と信子さまお住まいの、旧宮内庁長官・侍従長公邸だった宮内庁分庁舎の3つだということですね。
しかも信子さまがお住まいの宮内庁分庁舎は、バリアフリーなどの改修工事が予定されていて宮内庁は25年度の概算要求に約13億円の予算を計上しているということですね。
まぁでもそれで考えるとヒゲノ殿下は彬子さまを一番かわいがっていたから三笠宮東邸を引き継いで瑶子さまは百合子さまに一番かわいがられていたから三笠宮邸に住めばいいかもしれませんね。
だから信子さまも彬子さまも瑶子さまもそれぞれ独立の生計を営む皇族として、別々の宮家の当主としてお暮しになる可能性もあるということですね。
まぁ26日に豊島岡墓地(としまがおかぼち)で百合子さまの本葬にあたる斂葬の儀(れんそう)が執り行われますがそこに信子さまは参列されるのかということですね。
ただ3つの当主に分かれた方が皇族費の問題はなさそうですね。これまで信子さまが10万円というのもまずどこかにまとめて払われて信子さまには10万円しか払われなかったわけですね。
それが宮内庁が管理している皇室のルールでは問題ないわけですね。でも残りのお金はどこにいったんでしょうね。残りは彬子さまと瑶子さまで山分けしたんですかね。
それとも宮内庁長官がポケットマネーにしたんですかね。こういう問題があるから秋篠宮家も含めて会計監査をしてほしいですね。
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